先週、営業移動の車中の公共FMから連続して流れるちょっと懐かしい曲を思わず一緒に口ずさんでいた。
いずれも当時のヒット曲であるが、聴くのはもっぱらにTVやラジオ番組から繰り返し流されたものばかりだった。
ただ何となく、耳にしていただけだったはずの曲が、何故二番までほとんど間違わずに空で唄えてしまうのか不思議である。
昼どきの何日か続いたこの番組の構成が、春をテーマにした曲を並べた企画だと分かった。
共通するキーワードの大半は、「卒業」「別れ」「旅立ち」「青春」といった遠い過去にあった心境を唄っている。
「春」に、そうした一種特別な感傷を覚えるのは、日本人特有の心の動きなのだろうか?
確かに、そうした青春期の小さな変化は、想像以上に大きな経験であった。
その頃ひねくれ者だったボクは、感傷的に受け止めることなど皆無に等しかった。
例えば「卒業」なんて儀式などは「解放」の喜びに満ちていた。
最後の卒業から、もう四半世紀が過ぎ、ボクもどこをどう若作りしたところで、それと見抜かれる立派な中年オジさんだ。
「なんだかなぁ」と、しめっぽい歌詞を口ずさみながら、どこかで感傷的な気分でハンドルを握っている事に、ドキッとした。近頃よくあるのだ。
「この感覚、何だろう?」
あろうことか、元々弱い涙腺まで少し緩みそうになりで、これは始末に悪い。
イントロからエンディングに繰り返されるサビまでほぼ空で唄える曲が流れる。
『セーラー服と機関銃』
現在40代の人ならば、すぐに思い浮かぶだろうあの映画主題歌である。
1970年代後半から80年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした角川映画。
その看板子役から女優への階段を昇り始めた
薬師丸ひろ子の主演作である。
原作は、赤川次郎。
メガホンは、故・相米慎二。
劇中マシンガンをぶっ放して呟くあのセリフは、日本映画に燦然と残るシーンだ。今で言うところの流行語大賞だろう。
この映画公開(1981年12月)と同時に主題歌はヒットチャートを駆け上がり、毎週彼女は、良い意味で抑揚無く無機質にブラウン管の中で唄っていた。
さてなぜ、この曲を30年後も耳が憶えているのかには、明確な理由がある。
この冬、ボクは、13歳。
中学校1年生。
思春期を迎え、やり場の無い怒りや苛立を抱えていた。
その矛先は、時に親や教師、大人に向く。
この扇情的な「セーラー服と機関銃」というタイトルは、詰め襟のボタンの中に隠れた思春期特有の不安定さをピタリと表現している。
『合唱合奏コンクール』
記憶があやふやだが、そうした学校行事があった。
1学年12クラス、生徒が自主的に課題曲を選び、各クラス競い合うのである。
ボクは、どういった経緯だったのか定かでないが「文化委員」とか言うクラス内で肩書きをぶら下げていた。
担任の先生立ち合いのもと、課題曲は投票だっただろうか
「セーラー服と機関銃」にほぼ満場一致で決定した。
この選曲が後々に大問題となり、ボクの耳の奥に以来ずっと刷り込まれることになるのだ。
担任は堅物女性国語教師。
「合唱曲として、相応しくないわ。」
すぐにクラスメートから沸き起こる反発の声は、想像出来るだろう。
お互いに引き下がらず、最終的には担任教師は練習への関与を拒否した。
紛糾したやり取りの中で、誰かが言い出したある要求がコンクール後に起こった大問題の種となる。
「文化委員」として壇上に居たボクは、きっとその渦中の真ん中に居たのだろう。
その日から放課後は、生徒達だけで、「セーラー服と機関銃」の練習が始まる。
威勢よく啖呵を切ったが、最初は部活の友人の練習風景が気になって、何度も窓から運動場を見下ろした。
大人不在13歳の男女40人余りでの共同作業が上手く進むはずもない・・・。
すぐに仲違い、責任のなすり合い、不協和音は、ボクの身にも当然降り掛かる。
今すぐに「おれ、や〜んぴ!」と投げ出して部活の練習に走って行きたいところだ。
しかし、13歳の大人への反抗は、安々と引き下がれない。
ある「言葉」への意地もあった。
指揮棒は役回りでボクが振っている。
大事な部活動に穴を開け、夕暮れ時まで延々とあのイントロがピアノで流れるのだ。
それもこれも、原動力は権力への小さな抵抗だった。
結果を言えば、本番の舞台では見事に優勝の裁定が下った。
さぁさぁこのあとのホームルームは、荒れた。
「勝ったら、土下座する。」
これがその『言葉』である。
決定の際に担任教師の口から出た言葉かどうかは、今もって確信はない。
但し、あの場では、そんなやり取りと雰囲気にきっとなったのだ。
黒板を背にした教師という聖職の大人が(それも中年女性だ)、40名を越える教え子達から巻き起こる「土下座コール」を一身に浴びる。
ついには涙したが、断固謝らなかった。
そしてボクは、首謀者・先導役の一味として数名と共に『相談室』で待つ男子教諭に囲まれ・・・。
この唄には、こうして書くうちに恥ずかしくなる甘酸っぱい反抗期の記憶を蘇らせてくれるのである。
あらためて聴くと、唄い出しの深い歌詞や優しいメロディーは、秀逸な曲だと思う。
タイトルが、我慢ならなかったんだろうなぁ〜きっと。
作者の来生たかお氏が唄いこちらもヒットした異名同曲『夢の途中』だったら、有無を言わさず了承されたでしょう。
(ちなみに、中森明菜「セカンドラブ」や大橋純子「シルエット・ロマンス」なども彼の作品ですね)
さよならは、
別れの言葉じゃなくて、
ふたたび逢うまでの遠い約束
公園に咲く桃の花が、
芽吹き始めた桜のつぼみが、
春は、そう!もう目前です!