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I'm Just A BAD BOY
JUGEMテーマ:音楽





 『BAD BOY』

 出だしのギターフレーズから、すぐにそれと分かるシカゴブルース史に名を残す古典である。


 この1955年録音のミディアムシャッフルブルース、ジャムセッションなどでも取り上げられることもしばしばだ。

 そして必ず喝采の拍手を浴びる。

 特に派手な曲でもなく、ブルースに求める価値観が異なる人が耳にしてもピンとこないかもしれない。


 ボクにとっては、この曲を唄う主、

 Eddie Taylorは、

 唯一無二の存在だ。


 ブルースを知り、足を突っ込んだ頃には、残念ながら若くして故人となっていて、本人名義から幾多のミュージシャンのバッキングですぐにエディーだと分かるギターに酔いしれたのは、残されたレコードと希少な映像のみであった。

 先ほどと重なるが、ソロブルースギタリストに共通する搾り上げる(スクィーズ)様な表現方は少ない。

 が、そこには、まぎれもないブルースがある。



 彼のバイオグラフィーは真偽ともかく、検索すれば事細かく記載されているのでボクなどが記す必要もない、エディー・テイラー。

 1923年生まれというから、今年生誕90年。


 ミシシッピの生まれだ。

 農場労働などを経て、他のブルースマン達と同様にシカゴを目指し、北上する。


 この道中で出逢ったJimmy Reedとのちにあの数々の名曲をVee Jayに記録することになるのだ。


 自己名義曲『BAD BOY』は、その合間に収録されたもの。

 彼の代名詞は、通常ならシングルヒット曲『BIG TOWN PLAYBOY』とするところだが、この『BAD BOY』も彼を装飾する意味ではうってつけとなった。



 
 ブルースミュージシャン達は、愛称や芸名を名乗る場合が多い(この流れは、現在のヒップホップなどにも通じるか)。

 現在"TAKAGIMAN"なんてヘンテコな名前を名乗らざる?えないようになってしまったけれど、ボクも肝心要の腕を磨くよりも先に、そんなことばかり考えていた時期があった。


 実際に身近な先輩ミュージシャン方も「ほ〜〜〜」というネーミングで覚えられ、呼ばれていたりした。


 ボクが二十歳、「ブルースを聴いている」という理由だけで、ドラムとバンドを同時に始めた時、そんなニックネームを持つたくさんのブルースミュージシャンのライブ観戦に足しげく出向いた。

 

 そんな人物の一人に今回の日記に紹介する先輩がおられた。

 
 10も20も離れた先輩諸氏に、若輩のボクが気軽な言葉を掛けられるような雰囲気が無かった当時、気さくに接し、応じてくれた人物である。


 ステージでは、ニックネーム、

 「バッドボーイっ!」と紹介されていた。

 明里氏であった。


 愛称通り、エディー・テイラーを信仰することはステージを観て一目瞭然だった。

 その出逢い以来、いつか氏のバックでドラムが叩ける日が訪れることを目標と定めた。


 昨日、氏を訪れ、膝詰めで僅かな時間ながらブルースの話をした。

 二十年以上を経て、二度目のことである。


 ご多分に漏れず、やっぱりボクの一方的な問いかけや昔話に終始したが、氏は嫌な顔ひとつせずに、頷いて聞き役に徹してくれる。

 もっともっと深く語れば、一昼夜でも足らないだろう。


 お互いに平素は働きながらも好きなブルースを続けてこられた。

 回想話に出演する登場人物も事情があって活動ままならない、あるいは、ステージに立たなくなった、楽器を置いてしまった例もある。


 「ネットやSNSが、このご時世では大半の情報交流の場ですわ〜」


 ご自分の若き日のことも回想しながら、戸惑っておられる。



 最新から埋もれていた情報も即座に共有出来る、今。

 それも世界を通じてである。


 日本の片隅にいる「BAD BOY」のギターに、

 遠い国から感想のコメントが舞い込んだりもする。


 「怖いね・・・。」

 氏は、苦笑いした。


 数年前、お互いが初めて出逢った場、堺のレコードショップのスタジオを借りて企画した、

 『BLUES BEFORE SUNRISE』で、急造したバンドで、ギターをお願いした。

 スタジオ練習はおろか、打ち合わせも無く、本番のステージに立った。


 客席の隅から眺めていた氏の後ろ姿は新鮮で鮮烈だった。

 「この編成で、バンドやりしょ!」

 即座にボクは、打診し、

 「アイパー大西&The Seeds Of Reed」と名乗り、何度かステージを共に出来た。

 二十年越しである。



 先日、京都拾得で、昔の様に客席から見上げていた。


 大野木氏は、紹介した。

 「BAD BOY!明里〜!」



 並べて貼付けたら、怒られそうだが、氏が憧れ続けるEddie Taylorは、

 良いのか、悪いのか、

 「いつでもこうして足を使わず観れるご時世ですわ、明里さん?」


 
 この有名なアントンズでの映像の話題になり、晩年のEddieも凄いが、Luther Tuckerのえげつなさを2人で語る。





 こちら目立っているのは、Carey BellとHubert Sumlinだけれど、しっかりEddie Taylorが背後で寡黙にウォーキンベースを刻んでいる存在感が肝だ。

 このセットでの音源は、Eddie名義アルバム『My Heart Is Bleeding』で堪能出来る。








 

 前述『BLUES BEFORE SUNRISE』での明里氏ソロ。




 アイパー大西&The Seeds Of Reedとして、「拾得」






 
| ブルース・エトセトラ | 11:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
BLUESな一週間(塚本〜丸太町〜南森町)。
JUGEMテーマ:音楽



 女性は袴姿、ビシッと新しいスーツに身を包んでいる男性が談笑している。

 いずれも二十歳を少し過ぎた若者達だ。

 手にした黒い円筒からひと目に彼らが『卒業』した事が分かる。


 ボクにはそんな経験がないから、前途洋々、晴れ晴れとした初々しい表情にいささかながら嫉妬するひねくれた自分。

 


 
 週が明けた今日は、もう15年ほど毎日通る道路脇にせり出した枝に、

 淡い桜色の花びらがぽつぽつと見て取れた。

 この数本の桜の樹は、ボクにとって『春』到来の目安なのだ。


 

 2月は、ライブ活動が少なかった為、

 先週は「参加する」「観る」「実演する」いくつかある音楽と関わる要素に続けて足を運んだ。


 「参加」は、ジャムセッション。

 大阪塚本駅からすぐの『ハウリンバー』

 毎週火曜日の定例ブルースジャムセッションだ。

 近くに住んでいた数年前までは、機を見て時折参加したが、転居後はすっかり遠ざかってしまっている。

 振り返れば現在一緒に活動しているメンバーの何人かとは、ここが出逢いの場であったことを思い出した。

 相変わらずの盛況である。


 ここしばらくホスト進行役を務めていたので、出番を待ちながら初対面の方と挨拶をしたり、アプローチの違った参加者方の演奏を見たりするのは、とても新鮮だった。

 ネットを通じてお知り合いになった方とも、言葉を交わすことが出来た(実は、その方のTwitterでの呟きを拝見して塚本へ向かったのである)。

 少しの会話でもやはり生に勝るものはない。



 翌日お彼岸の祝日は、京都へ単身向かう。

 京都を中心に活動するハーピスト、大野木一彦氏率いる

 大野木一彦ブルースバンド

 セカンドアルバム発売ワンマンライブ。
 
 会場は、丸太町の老舗 Coffee House 拾得(じっとく)
 
 

 



 ブルースバンドを始めた頃、民家のど真ん中にあるこの酒蔵を改造したステージに上がることは、目標であった。

 何度かブッキングライブ出演したが、永くご無沙汰していた。

 当時から拾得のライブスケジュールで目にしていた「大野木一彦」の文字。

 同世代だということに気づくのはずっとあとのこと。


 多分、伏見にあったTen Holes Kitchenでのとあるライブ後のジャムセッションが実質の初対面、のちに拾得のステージにてご一緒したり、逆にこちらのイベントにお誘いしたりと、いっぺんに翻意にさせてもらっている。

 氏の多彩なハーモニカスタイルと豊富な知識(ライナーノーツやコラムでは馴染みのある人も多いだろう)を慕って、レッスンを受ける生徒さんも多数。


 今回の大野木一彦ブルースバンド・セカンドアルバムは、氏のペンによるオリジナル曲が半数、不動のメンバーにゲストも加え、オールドスクールなブルースからコーラスの入ったリズム&ブルースなアプローチも有りの内容である。

 本日発売!

 店頭・ネット上で購入出来ます。

 
 (下部に掲載しております。)


 満席。京都での集客力を実感しました。



 不動のメンバーである三島さん(ギター)ZEEさん(ウッドベース、一曲マディーの名曲を唄う)橋本氏(ドラムス)に加え、アルバムにも全編参加ピアノ大谷朝子さんが、途中のMCで正式メンバー入りのアナウンス。ゲストギタリストでは、同じくアルバム中数曲参加のバッドボーイ明里氏が、2ステージ目から参加。






 で、ボクは入り口すぐのL字型の席に見知り数人と陣取り、豆とチキンのカレーとマグカップ一杯のブラックコーヒー(拾得は、屋号にCoffee Houseとあります。)

 

 そういえば近頃は、客席から馴染みの方々の演奏を拝見する機会がめっきりと減った。
 駆け出しの頃ならよく出掛けたものだった。

 その時分を思い出しながら、オーラス前のブギでは、じっと座ってられずに、人目もはばからずに踊る。

 初対面の御婦人が、すぐに駆け寄って来て、ライブが跳ねるまで踊る。

 
 
 隣席に居たI君ちゃっかりと写メ。


 終演後、サインを求められて、ようやく汗のひいた大野木氏御一行。





 上に挙げた音楽と関わる要素の中に欠落している「聴く」。

 「そうそう、ありました!」



 アイパー大西&The Seeds Of Reedその他、この数年交わる機会がもっとも多いギタリスト、

 久米はるきより金曜日の夕刻珍しく向こうからのメール。

 以前からそれとなくは聞いていた、MBS毎日放送ラジオに出演、演奏するという。

 「今日やったんや〜」

 
 帰宅して、登場予定時間に間に合い、インターネットラジオ「Radico」で聴く。

 今年は彼にとって、飛躍の年であって欲しい。



 さてさて、ブルースという音楽がどれだけの求心力があるのか分からない。

 ボクが音楽はおろかドラムを叩いていることさえ知らない又は観たことのない周りの大半は、ほとんど興味を示さないし、こちらも「一回観に来てよ?」なんて無理強いなど一切しない。

 23日土曜日のシカゴロックでのライブでも客席におられた方々の多くは、やはりブルースに造詣の深いか、あるいは、支持してくれる長い常連の御客様方ばかりであった。


 
 Matsukeen&The Pine Woods

 11th Street Blues Band with アイパー大西


 二本立て。


 これまでシカゴロックでは、ひとバンド(2ステージのブッキング)が基本だったので、今回の試みはボク自身初めてに近い。

 The Pine Woodsを率いるハーピストのまつけん氏は、ボクがホストの金曜日ジャムセッションでは皆勤賞並の馴染みだ。

 その数日前のハウリンバーでも一緒だった。

 またバックメンバー諸氏もすっかりこの数年で交流させて頂いている。


 そういう次第だから、

 「あのバンド、食ってまえっ!」

 みたいな昔なら何度か体験した殺伐とした雰囲気ではないが、やはり自前のバンドだから、知らず知らずお互い意識し合った。


 まつけん氏の選曲は、ハーピストならば、これは一回やってみたい的な構成で、思わず一緒に口ずさんで邪魔をした。






 
 後攻の11th〜w/アイパー大西。

 急遽参加のアイパーもどうやら近頃ライブが減ったせいで、欲求が溜まっていたのでしょう。

 同じ様に、この週は遠くは名古屋のジャムに足を運び、地元に近い松阪のジャムでも吹いて来たとか・・・。

 ヨシは、出番前にすでに焼酎(お湯割りでしょ?)ですっかり赤ら顔。

 フルスロットルでしたな?






 そのまんま居合わせたミュージシャンの方々を順次招き入れてのジャムセッションへ突入。

 しかし、まぁ〜皆さん飲んだくれてましたな〜!?

 しらふなん、下戸のボクと車のアイパーくらい・・・。



 結局、共演の皆さんやお客さんに別れを告げた深夜になったあと、これからの活動をテーマに話が尽きず・・・。


 一所に留まっていることが是なのか否か?

 それぞれ腹に一物あることを珍しく吐き出す。

 みんな言わないまでもジレンマを抱えているのだ。

 答えは、結局それぞれの心ひとつだろう。


 傍から見れば、ボクは、きっと臆病者なのだろうね・・・。

 一枚岩になる事自体が不自然なんだろう。


 他方、そう言う答えの見つからないことを話せる場と人があることはきっと幸せでもあるんでしょう。

 


 



文中の大野木一彦ブルースバンド新譜、

 本日発売!


 
評価:
大野木一彦ブルースバンド
BSMF RECORDS
¥ 2,500
(2013-03-25)

| ライブ始末記 | 21:43 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
山崎西国街道を歩く。(下)
JUGEMテーマ:地域/ローカル



 町歩き日記、つづきます。

 
 (上)で離宮八幡宮の門前まで辿り着きましたところより。


 大人の足なら、ものの5、6分かからない距離も子連れ、それも何にでも興味の湧く年頃。

 八幡宮の小さな古ぼけた境内の足元にある砂利も遊び場にはもってこいです。




 ボクは、少し離れてこの「油」発祥の地と由来されている御宮さんを探索。

 碑がある。




 本殿。

 昭和初期に建て替えられたそうだが、中世鎌倉期からこの山崎の中心地だとか。重要文化財の文書なども所蔵しているそうだが、境内はおろか、社務所にも人影がなく、ひっそり。



 で、当然「お参り」です。

 息子「五円〜?」

 父母「それで、充分。」




 この八幡宮を避ける様に蛇行した西国街道。

 JR山崎駅まで用を足しに街道を戻る。


 この駅前には、妙喜庵千利休が残し、現在唯一現存するという茶室、

 国宝『待庵』がある。

 

 残念ながら、見学は事前予約制となっており、国宝の茶室があるとは思われない外観を眺められるのみ。




 今も語られる「天王山」の言葉通り、少しだが歩いてみると京の都と大坂へとつながる山と川に沿うその地の利は、なるほどと感じられる。


 171号線傍を流れる川「桂川」へ向かって、無計画に地図を見ながら歩いたものの川べりに着いた時点で3人へたって断念。並走する東海道新幹線車両が何本か通過するのを体感出来て息子は満足げ。
 画像は、向かって大阪方面。




 再び街道に合流。

 本来の目的地は、ここから県境を大阪側へ入った三島郡島本町


 同じ大阪だがこんなことでもなければ、そうそうに歩かない土地だろう。

 数年前にお世話になった方々としばしご挨拶とご相談をし、もと来た街道沿いの散策を行きより歩は早いが再開。


 別の意味で『山崎』の名にピンとくる人、いませんか?


 地名そのものが銘柄にもなった、

 「サントリー山崎蒸溜所」が山の麓に大きく見える。



 

 
 その他、この小高い山麓周辺には、無数の文化財や史跡が点在している。

 鎌倉期からの座像(重文)が多数眠る古刹「宝積時」や大念寺、観音寺(山崎聖天)、アサヒビールの大山崎山荘美術館。

 もっと足元他装備をすれば、天王山山頂の山崎城跡、先にも書いた十七士の墓石、大山崎のインターチェンジ近くには山崎合戦古戦場跡など。


 正直、大阪から名神で京都へ向かう途中にある長いトンネルのイメージしか持ってなかった土地も中世から幕末までの歴史的重要地であったことをあらためて再確認した次第だ。

 今度は、その辺りも巡ってみたい。

 街道沿いには、幕末に焼け残ったとされる表門跡。




京都と大阪両方へのアクセスが良い為にベッドタウンにもなっているそうで造成された宅地も見かけるが、古い街並もところどころには残ってもいる。




 
 特別に予定していた散策でもなかったが、歴史ある町を歩けたことは良い収穫だった。

 次回訪れる際は、予定ルート・装備など計画して挑みたい。






| 旅・街・エトセトラ | 14:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
山崎西国街道を歩く。(上)
JUGEMテーマ:地域/ローカル


 
 「カシーン、カシーンしよっ!」
 
 息子の興味の行方に時々戸惑うことがある。

 そろそろ年齢的には、流行りのアニメやキャラクターグッズなどに目移りが始まる頃だと思うのだが、どうやら彼の価値観と関心は別にあるらしい。

 我が家と実家のテレビのチャンネルは、『時代劇専門チャンネル』にセットされている。


 先週『柳生あばれ旅』勝野洋主演/千葉真一(柳生十兵衛)が最終回だった。

 毎晩これを観ないと風呂に入らない。おかげでベッドで寝息を立てるのは10時を回ってします。


 やしきたかじんの唄うエンディング・ソングを口ずさむくらい憶えてしまった。

 最終回でひと段落したのも束の間、

 『柳生十兵衛あばれ旅』志穂美悦子主演/千葉真一(柳生十兵衛)がスタート!





 5月にアイパー大西の地元、三重県でライブのブッキング予定があるのだが、翌日は『伊賀忍者村』で扮装して手裏剣を投げる約束をすでに交わしている。

 思えば、ボクだって「マカロニ・ウェスタン」が大好きで、腰に2丁拳銃をぶら下げて早撃ちのガンマンを気取っていたっけ・・・。



 ここまでの前置きとこれから記す街歩き日記には、少し脈略があるかもしれない。



 頻繁に耳にする(特にカーラジオの道路情報など)地名は刷り込まれていても、実際にその土地を意識的に訪れたり、まして歩いたりする機会は少ない。

 そんな毎日耳にする数ある地名に、

 『山崎』、『大山崎』がある。

 

 京都と大阪の境に位置し、桂川や宇治川を沿う様に広がった街である。

 名神から京滋バイパス「大山崎ジャンクション」は渋滞地点で決まってアナウンスされる。

 平行交差して、新幹線・阪急・JR東海道線が走る。

 『天王山』の山裾。


 
 そう誰しもが知る「天下分け目の天王山」のあれだ。

 大阪から京都へ向かって名神高速を走っていれば、必ず通る「天王山トンネル」


 主君織田信長を京都本能寺で討った明智光秀が、「大返し」の豊臣秀吉軍と一戦交えた歴史的な舞台である。

 この小高い山だが、立地条件的に取るか取らないかで、確かにどちらか一方に利が移ったであろう。


 山崎の町を正確に記せば、京都府乙訓(おとくに)郡大山崎町大山崎であった。


 なぜ、ここに赴いたのかは、別な訪問先があったのだが、午前中は街歩きも兼ねて、線路沿い(いや、道沿いに線路が正しいのか)を走る、西国街道を歩くことにした。

 西国街道を挟み込む様に、阪急「大山崎」とJR「山崎」の駅が向かい合ってる。







 ガイドマップのハイキングコースには、前述の山崎合戦場の城跡や名所が、山肌に点在する。


 3歳の息子連れでは山歩きは到底叶わないが、

 機会を作って一度訪ねてみたいものである。

 (幕末の烈士・真木和泉他、八月十八日の政変で自刃した十七士の墓も個人的にお参りしたい)

 
 
 事前に訪問先から届いていた案内マップにあったイタリアンレストランを飛び込みで訪ねる。

 「予約されていますか?」


 店内は予約席で埋まっていたらしいが、テラス席を譲ってもらった。

 テラスに注ぐ絶好の陽射しが、始まった春を実感させてくれた。

 二種類の生パスタランチを息子と分け合う。

 「お腹減ってないねん〜」と道中に我慢しきれず食べてしまったクッキーのことを息子は訴えていたが、目の前のサーモンの前菜を口に入れた途端にさっと顔色が変わった。




 その後は、「足らん」とせがむ。

 デザートも双方の皿からちゃっかり奪い取る。







 
 美味しかったです。

 

 レストラン タガミ
 http://r-tagami.com/


 
 「食べに来ただけちゃうで〜?」


 ボクはカメラを早速カメラを首からぶら下げ、出立。

 京都東寺を起点に大阪、兵庫西宮、中国方面へとつながる西国街道を行く江戸時代の旅人気分だ。



 少し歩くと、離宮八幡宮の案内を見つけた。

 もうこの辺りは、大阪との県境である。



 何の予備知識も無く、門前をくぐってみる。



 手前にあった案内板には、中世この八幡宮は、油生産(荏胡麻油)の発祥と伝えられている。



 詳しくは、こちら参照↓
 http://rikyuhachiman.org/


 
 目的地まで徒歩20分ほどの予定が、たっぷりと寄り道開始です。

 (下)につづく・・・。


 

 


| 旅・街・エトセトラ | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
息子の成長は、親の成長。
JUGEMテーマ:日記・一般



 中年男の親バカぶりは、すっかり知れ渡った。


 私事をブログに事細かく書きさえしなければ、周辺からそんな掛け声をもらわずに済むのであろうが、今更仕方がない。

 ある意味、すっかりこの場は、個人的な備忘録の一面も持ってしまった。

 文字に残すという日記を兼ねた表現手段でもある。


 時々、一昨年の今時分はどうしていたのだろう?と思う時など意外に重宝するのだ。


 

 その息子が産まれてから、それまでの生活がまるっきり一変した。


 どうしても変わらないもの変えられないものもあるが、

 「変えざるを得ない」事柄が増えた。

 そしてそれは、これまでに経験したことのない代物だということだ。


 特に、心持ちである。

 如何にこれまでの自分が、了見が狭い浅はかな生活態度と価値観で動いていたか、彼を通して日々教えられ試されている。

 ある程度は自覚していたつもりだが、人に言わせれば、ボクは相当な「かんしゃく持ち」で、かつ「自己中心的」な性格らしい。

 シカゴロックのマスターには、ことあるごとに、

 「オマエ、次、帽子脱いで、メガネ投げ飛ばしたら出入り禁止や」

 と冗談めかしに諭される。



 

 年末に3歳になった息子。

 自己主張もはっきりと態度に出す。

 当然のことなのだろう。

 それは、彼が成長している証拠である。


 しかしながらボクは、そんな彼にも「かんしゃく玉」を投げつけてしまう。

 それも頻繁だ。

 全くもって情けないオヤジだ。


 この週末も何度かそんな場面を作ってしまい、薄明かりのベッドで寝息を立てる彼の横顔を眺めながら反省しているのである。



 彼にとって3度目の『おゆうぎかい』が土曜日の午前中に行われた。

 ボクは休みを取らせてもらい、体操服姿の息子と自転車で連れ立って保育所に向かう。


 昨年は、卵の中から出てくる、という冒頭シーンで、完全に固まってしまい、挙げ句の果てには泣きべそをかいて退場した・・・。

 誰に似たのか?


 今年は、少し年長さんになって(生後3ヶ月から通っているのでけっこうな古株である)、保育士さんの申し送りには、「予行演習では率先しています!今年はやってくれるでしょう!」そんな期待を持てる文章がこの一ヶ月ほど届いていた。

 どうやら本人もお気に入りの絵本に登場する役柄を理解しているらしい。


 そうは言っても、本番と練習とは、天地の差だ。

 自分を引き合いに出すのは筋違いだが、例えば気軽なジャムセッションなら少々平気なことが、いざ本番のステージになると、もう見るも無惨な結果に終わってしまうことなど数えきれない。


 『てぶくろ』

 ずいぶん前から我が家にもあり、添い寝の際によく読み聞かせているので、あらすじや登場人物は把握している。


 去年と違い、張り切って保育所の玄関を突破して消えて行った。




 

 園庭が客席だ。

 どこからか、ウグイスの鳴き声が聞こえた・・・本物か?




 一番年少さん(まだ歩き出した程度)が和やかに始まる。


 息子の出番である。

 ボクは彼に気づかれぬ様、後方に隠れてカメラを構えた。


 『牙持ちイノシシ』役だ。

 あるおじいさんが、雪の上に落とした手袋に色々な動物達が家代わりにやってくるという筋書きである。


 台詞と唄もある。


 順番に動物達が登場するので、ハラハラだ。


 息子、登場。


 固まるか、どうせならばいっそのことヘラヘラして笑いをとってしまえ!と、オヤジの浅知恵は見事肩透かし。

 このあと書く文字に対する親バカの声を甘んじるが、


 「よく、やりました!」

 絵本通りの台詞、唄もはっきり後方のボクの耳にも聴こえるくらいにしっかりやってくれた。



 これは、まいった、まいった・・・。


 ボロボロ、ボロボロ、幕代わりのカーテンが閉まったあとに、涙がこぼれてくるのです。

 恥ずかしいかな、中央のゴザに座っていた家人、パイプ椅子の実母に見つかってしまった。


 「なんで、泣いてんの?」


 その夜の風呂場で、あっけらかんとした息子からたしなめられる始末。


 
 知らないうちに成長しているのは息子の方で、

 親としてのボクはいっこうに未熟そのものであることを痛感した土曜日。

 ご褒美は、「焼きそば」で良いとは、親思いではないですか(笑)

 


 ・・・でも結局、翌日曜日には、

 またまた「かんしゃく玉」を落とす不甲斐ない親です。

 明けた日曜日の彼との休日とある初めての街歩きは、

 次の日記にしましょう。



 


 
| 旅・街・エトセトラ | 00:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
3月のChicago Rock Friday Night Blues Jam 御礼!
JUGEMテーマ:音楽



 ジャムセッションのホスト、聞こえはよろしい。

 毎月第3金曜日の夜8時から南森町にあるブルースバー、シカゴロックでブルースジャムセッションを開催している。


 進行役という立場を引き受けて(いや、この企画はマスターに元々はボクの方から持ち込んだんだ)、もうすぐ丸3年になる。


 通常2曲回しで進むセット転換時に、マイクに向かい思いつきの雑談で間を持たせるのだ。

 常連の参加者から初めての方(ジャムセッションそのものが初めてという方もおられる)、長いキャリアのある方々も時折ふと顔を見せてくれる。


 つまりは、その夜の僅かな数時間の中で、それぞれ全く違った思いの中での即興演奏を要求されるのである。

 
 この作業は、実はとても難しい。

 一度きりで、二度とお顔を拝見出来なくなった方々がおられることも充分理解し自覚している。


 「自由に思い切り遊んで下さい!」

 「日頃の鬱憤ばらしで結構ですよ!」




 無責任な言葉だなぁと、自戒した。


 先日15日金曜日に参加された一部の方との会話の中で、あらためて考えさせられた。


 彼ら彼女らの口からは(即日にサイトなどで具体的な文章に残されている)、ボクのいい加減な言葉使いと相反して、この場における熱意を述べてくれる。

 見知らぬ人との新しい出会いの中で、研磨・向上を望まれていることを知った。

 遊びでも憂さ晴らしでもない姿勢で挑んで来て頂いているのだ。

 
 この夜も、はるばる岡山から夜行バスで来てくれた方、京都や滋賀で仕事を終えて直行してくれた方、神戸方面から終わりがけに駆けつけてくれた方、もちろん常連の方々、暫くご無沙汰していた方、これからブルースを身につけたい若い人、様々な人が集まってくれた。


 ついつい、回を重ねるうちにお座なりになっている進行役としてのうかつな態度や言葉遣いの気持ちを入れ替える良い機会を与えて頂きました。

 参加頂いた皆さんはもちろん、最後までその一部始終をにこやかに見届けて下さった幾人かの御客様の方々、感謝致します。


 

 来月も第3金曜日、

 4月19日

 お待ちしております!



 向こう6月までの日程記載の新しいフライヤーです、

 シカゴロックにもたくさん置いてありますよ!

 もちろん、最初のコンセプトでもある、キャリアの差を問わず、

 腕試し、肝試し、憂さ晴らしなどなども否定している訳ではありませんので。





 さて、いつもカメラ持参で待ち構えておるわけです。

 参加者各位、一期一会のショットを少しだけ掲載致します。

 春になって、いよいよシカゴロック特有の部室の様な演奏スペースの蒸し暑さが戻って来ましたよ!

 皆さん、汗だくです。もうTシャツ一枚でオッケーです!














 お馴染みの記念撮影タイム!

 だいたい、終了間際の10時過ぎが定例です。

 参加者以外のお客さんも巻き込むのも恒例であります。




 終了後、ブルースドラム講座もどきを周りから一斉に批難される。

 「この人の言う事、聞いとったらろくなドラム叩かれへんで〜」

 ごもっとも・・・。





 (追記)

 私事ですが、幼い頃の同級生が偶然にもジャムセッション参加者とご縁があって、30うん年振りの再会がありました・・・。

 こんなことってあるんですね〜?悪さは出来ませんね〜。







| ChicagoRock Friday Night Blues Jam | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
早春に芽吹く「セーラー服と機関銃」
JUGEMテーマ:日記・一般



 先週、営業移動の車中の公共FMから連続して流れるちょっと懐かしい曲を思わず一緒に口ずさんでいた。


 いずれも当時のヒット曲であるが、聴くのはもっぱらにTVやラジオ番組から繰り返し流されたものばかりだった。

 ただ何となく、耳にしていただけだったはずの曲が、何故二番までほとんど間違わずに空で唄えてしまうのか不思議である。

 

 昼どきの何日か続いたこの番組の構成が、春をテーマにした曲を並べた企画だと分かった。

 共通するキーワードの大半は、「卒業」「別れ」「旅立ち」「青春」といった遠い過去にあった心境を唄っている。


 「春」に、そうした一種特別な感傷を覚えるのは、日本人特有の心の動きなのだろうか?


 確かに、そうした青春期の小さな変化は、想像以上に大きな経験であった。


 
 その頃ひねくれ者だったボクは、感傷的に受け止めることなど皆無に等しかった。

 例えば「卒業」なんて儀式などは「解放」の喜びに満ちていた。


 
 最後の卒業から、もう四半世紀が過ぎ、ボクもどこをどう若作りしたところで、それと見抜かれる立派な中年オジさんだ。


 「なんだかなぁ」と、しめっぽい歌詞を口ずさみながら、どこかで感傷的な気分でハンドルを握っている事に、ドキッとした。近頃よくあるのだ。

 「この感覚、何だろう?」

 あろうことか、元々弱い涙腺まで少し緩みそうになりで、これは始末に悪い。


 
 イントロからエンディングに繰り返されるサビまでほぼ空で唄える曲が流れる。

 『セーラー服と機関銃』


 現在40代の人ならば、すぐに思い浮かぶだろうあの映画主題歌である。

 1970年代後半から80年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした角川映画。

 その看板子役から女優への階段を昇り始めた
 
 薬師丸ひろ子の主演作である。

 原作は、赤川次郎。

 メガホンは、故・相米慎二。

 
 

 劇中マシンガンをぶっ放して呟くあのセリフは、日本映画に燦然と残るシーンだ。今で言うところの流行語大賞だろう。


 この映画公開(1981年12月)と同時に主題歌はヒットチャートを駆け上がり、毎週彼女は、良い意味で抑揚無く無機質にブラウン管の中で唄っていた。

 さてなぜ、この曲を30年後も耳が憶えているのかには、明確な理由がある。


 この冬、ボクは、13歳。

 中学校1年生。



 思春期を迎え、やり場の無い怒りや苛立を抱えていた。

 その矛先は、時に親や教師、大人に向く。



 この扇情的な「セーラー服と機関銃」というタイトルは、詰め襟のボタンの中に隠れた思春期特有の不安定さをピタリと表現している。

 『合唱合奏コンクール』

 記憶があやふやだが、そうした学校行事があった。

 1学年12クラス、生徒が自主的に課題曲を選び、各クラス競い合うのである。


 ボクは、どういった経緯だったのか定かでないが「文化委員」とか言うクラス内で肩書きをぶら下げていた。

 担任の先生立ち合いのもと、課題曲は投票だっただろうか

 「セーラー服と機関銃」にほぼ満場一致で決定した。

 この選曲が後々に大問題となり、ボクの耳の奥に以来ずっと刷り込まれることになるのだ。



 担任は堅物女性国語教師。

 「合唱曲として、相応しくないわ。」

 すぐにクラスメートから沸き起こる反発の声は、想像出来るだろう。


 お互いに引き下がらず、最終的には担任教師は練習への関与を拒否した。

 紛糾したやり取りの中で、誰かが言い出したある要求がコンクール後に起こった大問題の種となる。


 「文化委員」として壇上に居たボクは、きっとその渦中の真ん中に居たのだろう。


 その日から放課後は、生徒達だけで、「セーラー服と機関銃」の練習が始まる。

 
 威勢よく啖呵を切ったが、最初は部活の友人の練習風景が気になって、何度も窓から運動場を見下ろした。

 大人不在13歳の男女40人余りでの共同作業が上手く進むはずもない・・・。

 

 すぐに仲違い、責任のなすり合い、不協和音は、ボクの身にも当然降り掛かる。

 今すぐに「おれ、や〜んぴ!」と投げ出して部活の練習に走って行きたいところだ。


 
 しかし、13歳の大人への反抗は、安々と引き下がれない。

 ある「言葉」への意地もあった。


 指揮棒は役回りでボクが振っている。

 大事な部活動に穴を開け、夕暮れ時まで延々とあのイントロがピアノで流れるのだ。


 それもこれも、原動力は権力への小さな抵抗だった。


 結果を言えば、本番の舞台では見事に優勝の裁定が下った。


 
 さぁさぁこのあとのホームルームは、荒れた。


 

 「勝ったら、土下座する。」

 これがその『言葉』である。

 決定の際に担任教師の口から出た言葉かどうかは、今もって確信はない。

 但し、あの場では、そんなやり取りと雰囲気にきっとなったのだ。


 黒板を背にした教師という聖職の大人が(それも中年女性だ)、40名を越える教え子達から巻き起こる「土下座コール」を一身に浴びる。


 
 ついには涙したが、断固謝らなかった。


 そしてボクは、首謀者・先導役の一味として数名と共に『相談室』で待つ男子教諭に囲まれ・・・。



 この唄には、こうして書くうちに恥ずかしくなる甘酸っぱい反抗期の記憶を蘇らせてくれるのである。


 あらためて聴くと、唄い出しの深い歌詞や優しいメロディーは、秀逸な曲だと思う。

 タイトルが、我慢ならなかったんだろうなぁ〜きっと。


 作者の来生たかお氏が唄いこちらもヒットした異名同曲『夢の途中』だったら、有無を言わさず了承されたでしょう。
 (ちなみに、中森明菜「セカンドラブ」や大橋純子「シルエット・ロマンス」なども彼の作品ですね)




 

 さよならは、

 
 別れの言葉じゃなくて、

 
 ふたたび逢うまでの遠い約束




 

 公園に咲く桃の花が、






 芽吹き始めた桜のつぼみが、






   春は、そう!もう目前です!





 

| TAKAGIMAN/1968 | 22:35 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
ナンバから梅田まで「もほや梅田の開発についていけないぞ!」(下)
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 伊勢丹三越の参入で勃発したらしい梅田の百貨店戦争の軍配は、やはりこの地に強い「阪急」に軍配が上がったのでしょうか?


 ボク達バンド仲間が、毎晩この阪急百貨店のシャッターが下りたのを確認してから、発電機に点火していた事を思い出した。

 その頃から、梅田阪急の改築は徐々に進んでいた記憶があるが、全面改装となって、売り場のイメージが大きく変わった。

 その間に、歩道橋を挟んでのライバル関係だった阪神は、阪急グループに実質吸収された。


 しかしまぁ、そんなことよりも、昼下がりになって、汗ばむこの陽気だ。

 梅田の人の流れに慣れない。


 心斎橋やナンバ界隈も雑多だが、比較的街が碁盤の目の様な東西南北に迷わない作りになっているが、梅田界隈とくに駅と駅を繋ぐ役割を成す地下街の雑踏が慣れないボクには甚だ苦手である。


 梅田の地下にこんな始末だから、例えば大東京など滅相も無いだろう。


 永らく買い替えていなかったスーツを2着、冠婚葬祭用の黒い革靴をセールで買ってもらう。

 羽織って来たウールのジャンパーなど要らなかった・・・。

 背中に嫌な湿り気を感じたので、脱出!


 
 新しくなった大阪駅を家人から、簡単なレクチャーを受ける。

 普段、車移動が多い為だ。


 まだまだ北ヤード周辺の開発は、加速するそうだ。

 こりゃ、ますますついて行けないな〜〜〜。


 早いが、窮屈な地下街を使うのをやめて、地上を歩く。

 この地上歩きが、梅田の難点と言うか、改善して欲しいと長年に思っている。


 昔からの歩道橋は納得するが、地上に信号が少なく、ひとつ逃せば、後戻り。結局は、地下に潜らなければならない。

 すぐ目の前に目指している西梅田のビルが見えるのにね・・・。



 という訳で、西梅田地区。

 この辺りも数年前に大規模な開発(主に、阪神所有の土地)が終わり、様変わりした。

 瀟洒なホテルやショッピングモール、劇場、テナントビル・・・。


 取り壊しか保存で揉めた大阪中央郵便局跡地は、当初の駅直結の高層ビル開発予定はしばらく頓挫したらしい。何やらイベントスペースに改装中だ。


 西梅田方面から眺める大阪駅。





 さっき買ったスーツの裾直しに時間が掛かるので、移動、いや避難して来たのだ。

 こちら西側は、人混みもずいぶんと柔らかでホッとひと息。


 
 余談だが、大阪風俗に明るい若一光司氏著『大阪の地名を歩く』に梅田の記述がある。

 「大阪駅」は、日本初の鉄道「新橋〜横浜」の2年後に神戸間で開通した。明治7年(来年で数えたら140年だ)。

 今より南側の堂島が予定されたものの用地買収に困って、今の梅田地域に決まったという。

 当時この一帯は、水田などの草地で、梅田墓地が駅用地に取り込まれているとか。


 「坂」が「阪」、「大坂」が「大阪」の文字に定着したのは、この頃だという。

 一節には、「坂」の字を分解すると、「土に返る」=死を想像するとか、当時の明治政府が、同じく「坂」を分解すると「士」と「反」つまり氏族の反乱に結びつくとか諸説あるが、はっきりしない。


 また「梅田」の地名由来は、これも諸説あるとか。

 
 沼地を「埋め立てた」説。ただ、「埋田」の字面が悪く、近くの神社の梅の木に因み「梅田」とした。


 もうひとつは、「梅田草庵」なる人物の所有地説である。


 いずれにせよ、梅田は大阪の玄関口として、これからもみるみる開発されていくことは間違いない。


 機能的であり、優しい都市造りをお偉いさん方には切にお願いをしたい。



 さて、腹ごしらえも兼ねて、移動して来たのだ。

 家人が奨めるのは、自然派インド料理のランチ。

 有機農法の野菜を中心にしたカレー。天然酵母・国産小麦使用のプレーンナンも食べ放題ときた!

 

 選んだのは、『トリプルカレー・ランチセット』

 チーズ入りの甘口・ほうれん草の中辛・野菜ゴロゴロスパイシーな辛口を交互にガーリックナンで楽しめた。



 自然派インド料理 NATARAJ(ナタラジ)
 http://www.nataraj.co.jp


 スーツの仕上がりを受け取る頃には、すっかり預けている息子を迎えに行かなければならない時間になっていた。

 
 次に梅田に来るのは、いつだろう?

 家人の手引きが無かったら、観光客みたいにキョロキョロ、何度も道を尋ねたりするのでしょう。



 画像アップロードしたのに(上)で、掲載し忘れた難波神社の御神木。


 なんとも懐かしい陽射しが、気持ちよい一日でありました。





 *文中のインド料理店のレシピ本が発売されていました。

 これ参考に、欲しいな・・・。




| 旅・街・エトセトラ | 06:20 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ナンバから梅田まで「もほや梅田の開発についていけないぞ!」(上)
JUGEMテーマ:地域/ローカル


 
 慣れている家人でさえ、目まぐるしく変わり続ける梅田周辺に困るそうだ。


 ボクが、そんな彼女の先導も無しに、今歩く地下街に一人放り出されたら、もはやお手上げであろう。



 薄らとある梅田の記憶も役立たないくらいに、駅周辺を中心にした再開発は完成したもの、建設中のものいずれも街の変化が圧倒的だ。



 元々キタ界隈へ赴く、歩くことは、ボクの生活基盤にはほとんど無い。

 これは今に始まった事ではなく、近鉄沿線住まいのボクに馴染みがある街は、やはりミナミということだ。

 おまけに、自分でも嫌になるほどの方向音痴だから、尚更梅田の迷路の様な地下街はおのずと敬遠の対象となってしまう。

 
 先日もビルボードライブ大阪への道中に、地下街で一人心細く迷った。

 スタスタと慣れた風で歩くビジネスマンやOLの軽い足取りと身のこなしは、尊敬に値する。


 

 そんなことで、目的があって久し振りに土曜日梅田を歩いた。

 ・・・といっても、先の家人の先導に任せっきりだ。



 暑いくらい抜群の陽気の中、梅田までの道中少し寄り道。


 『難波神社』

 


 街中の小さな神社だが、家人とボクにとっては、何かと縁深い場所でもある。

 大晦日からの年始詣りは、長年ここに決めていたし、最たるは挙式も本殿で執り行なった。

 ちょうど10年経ったのだ。


 その間にも蓄積されている不健康な生活は、近頃彼女の手によって少しずつ改善されている。

 彼女の志向の転換がもちろん発端だが、息子の誕生やボクが抱える幾つかの持病もその一端だろう。


 極めて健康が最優先という様な、堅苦しい固執している生活ではないが、無理無く特に食に関しては、少し食材や産地を考えたり、食べたい欲求を我慢をする緩やかな生活が定着した。

 数日前の食卓には、こんな食材が並んだ。




 「生の島らっきょう」と「ごぼうときのこの素揚げ」

 ちなみに、この半年ほど、ボクに限ってだが夕飯から炭水化物を排除した。

 時折出る場合も玄米が主である。


 

 難波神社境内で、「大地に感謝する、マーケット」があるとかで、久し振りに境内に入る。

 スーパーに行けば、通年大量に生産された様々な規格品の野菜が食卓に並べられる。

 それはそれで、消費者の目線に立った生産者の努力のおかげだが、

 一方、農産品には、それぞれ旬の時期があり、地域があり、生産者が育て収穫した心がこもっている物である。


 有り難く頂く「いただきます。」の精神をついつい見落としてしまう。


 
 この辺りは、心斎橋の喧騒から少し離れた穏やかな午前中がある。

 それに合わせた様に緩やかな手作り感が境内にあった。

 まずは、本殿に頭を下げる。



 
 地場産の大きなネギ(九条ネギの発祥)、お茶など。いずれも自然農法に努めているとか。

 米粉加工品のコーナーに足を止める。



 「米粉」は我が家でも必需品扱いだ。

 パンをはじめ、多様な使用法で食卓に混じっている。

 その事をおかあさんに話すと、名刺に連絡先を書いて欲しいと頼まれた。

 「今度、実演して紹介してよ?」



 

 そんなこんなで、梅田に昼前に着く。

 予定していた目的が、ひとつあったのである。


 前回は、中之島で開催された、

 『For Your Smile 311』




 ↓(前回訪問時の日記参照)
 http://takagiman.jugem.jp/?day=20110813


 今年は、阪急梅田の祝祭広場(ここも大規模な改装後初めてだ)で開催中なのだ。

 主宰者のプロフォトグラファー氏と家人とは、以前から縁がある。


 タイトルに「311」があるので、すぐにご理解出来るでしょう。

 あの震災から丸2年。


 チャリティーに賛同された内外プロフォトグラファーの作品が、『あしなが東日本大震災津波遺児募金』を通じて東北に全額寄付されることになっている。

 ちなみに小さな我が家が完成した際の撮影会でシャッターを切ってくれた写真家の方も前回に続いて出展されていた。


 今年は、気に入った小さな可愛いポートレートを購入した。

 来週末に届く。

 どこに飾ろうか?



 梅田歩き、もうしばらくのお付き合いを・・・。

 

| 旅・街・エトセトラ | 04:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
3月のジャムセッションとライブ告知。
JUGEMテーマ:音楽



 さぁさぁ、春ですね!


 「待ってましたっ!」の人もいれば、

 花粉やらで困る人もいらっしゃるでしょうね?

 特に、昨日からの黄砂と例のPM2.5の三位一体ですからね?


 夜はなかなか温まらない布団に丸まって、目覚めたら条件反射に暖房のスイッチに手が伸びる事からは、開放されるだけでも何はともあれ、固くなった身が軽くなるはず。

 誰の唄だったか、「重いコート脱いで出掛けませんか?」の一節が鼻歌です。

 あ、キャンディーズ『春一番』だ。

 それはそうと、関西には春一番吹いたっけ?



 正月明けから、幾つか入っていた週末限定のライブ活動も一段落。

 2月にブルース・ザ・ブッチャー神戸公演のオープニングアクトをやらせてもらった際に、ハーピストのKOTEZ氏から分刻みのハードなスケジュール日程の話を聞いた。

 その他大勢のブルースファンの一人であるボクには、到底想像さえもつかない重労働な日々。

 音楽に対する情熱が、それを過酷とは思わせないのだろう。

 感服します。



 さて、そんな前置きのあとに告知というのは、自分でハードル作っちゃいました。


 ジャムセッションのホストをかって出てから、この5月でようやく丸3年目を迎えます。

 コネ無し、人見知り、実は口べたと、とうていにホスト役には不適格だと思われますが、毎回参加者の方のご協力のおかげさまで、(途中骨折による2ヶ月の欠席)続けてこられました。


 今月も第3金曜日にお待ちしております!

 期末でお忙しい時期ですが、ご参加お待ちしております!



 3月15日金曜日

 場所/大阪南森町・Blues&Soul Bar ChicagoRock
 http://www18.ocn.ne.jp/~bluesbar/

 時間/19:00オープン 20:00〜23:00

 チャージ/1,000円(1ドリンク付き)










 

 ボクが関わる今月唯一のライブは、

 同じくシカゴロック。


 上のジャムセッション開始当初からほぼ皆勤で参加頂いて、

 たくさんお酒を飲んでくれるハーピスト・Matukeenさん率いる、

 正調シカゴブルースバンド。

 バンドではシカゴロック初見参ですね!

 『Matukeen & the Pine Woods』の皆さんとの対バン形式です。

 


 対します当方は、YOSHI水野率いる、

 11th Street Blues Band

 ゲストには、

 伊勢からアイパー大西ハーモニカで参加でございます!



 

 

 
 

 11th Street Blues Band

 Yoshi水野/Guitar,Vocal
 池田真一/Guitar,Vocal
 三木あきら/Bass
 TAKAGIMAN/Drums

 &アイパー大西/Harmonica,Vocal



 3月23日土曜日

 時間/20:00〜

 チャージ/1,500円(ドリンク別途)







| 最新ライブ・ジャムセッション情報 | 00:41 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |

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