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チヒロとCatfishと。
JUGEMテーマ:音楽



 指先のかじかむ日々。

 雪国から届く天気ニュースに比べ、これくらいのことでへこたれる大阪人は柔だ。


 今年は、初冬に一度だけ防寒タイツを履いたが、コートも着ず、平素は過ごしている。

 しかし、光熱水道費は去年より多いと、家人がポストに放り込まれていた領収書の数字を見比べて呟く。


 「暑さ寒さも彼岸まで」とするならば、まだ二ヶ月はこうした日日が続くのか。



 土曜日。

 夕刻、大野木氏から電話が鳴った。

 「先にリハーサルやるで?」短いやりとりだった。

 そう、京都からハーピスト大野木氏率いる大野木一彦ブルースバンドがフルメンバーで大阪にやってきている。

 しかも場所は、シカゴロックである。


 シカゴロックで行われる不定期ライブは、プロもアマもバンドあるいはユニット、弾き語り2ステージ構成が基本だった。

 近頃は、対バン形式1ステージづつの傾向も定着しつつある。


 ライブハウスでのブッキングライブを中心にしていた駆け出しの頃は、当たり前だったことだが、対バンは良きも悪くも緊張するものだ。

 同じブルースを土台にしながらも、この夜はその毛色の違いは始まる前から一目瞭然だったと言える。


 大野木一彦ブルースバンドは、不動のメンバーを擁し京都を中心に活動、BSMFレコードから数年前には、初のCDも発売している。

 一方対する我が方は、あろうことか、一夜限定(と思われる)即席ユニットなのだ。

 メンバーは、栄チヒロのギターとヴォーカル、Catfishことハーピスト薮下もヴォーカルを取り、そしてボクのドラムスという変則的なトリオ。

 過去に3度か、チヒロとは、『チヒロ&タカギマン(別名DEEP SHUFFLE)』名義で組んだ経緯がある。

 今回もボクが一方的にチヒロを口説く為に、Catfish YABUSHITA氏を担ぎ出した訳だ。


 二人とも、一筋縄にはいかない、つかみ所のない独特なキャラクターを持っている。

 ボクの様な凡人には、そうそうに真似出来ない。羨ましいかは別だ(笑)


 チヒロとの出逢いからは、20年は過ぎもう四半世紀近くになる。
 
 その頃、彼はふらっとシカゴに手ぶらで旅立った。無一文にも関わらず。
 21歳になっていないのでブルースクラブには容易に入れない。

 シカゴでの数ヶ月の土産話は後日談として面白おかしく聞く。

 例えば、とある楽器屋で、メーカー不明のギターをポケットのジャリ銭を見せて値切り購入し、それを引っ越し用のビニールテープの結んで地下鉄を乗り継いだ話、外食する手持ちも無いので、パンと水道水で暮らしたこと、ギャングにカツアゲされたことなどなど・・・枚挙にいとまがない。

 写真は、マックスウェル・ストリートで演奏する二十歳のチヒロ。
 

 

 Catfish氏も、アメリカ南部を放浪し、えっ!?という今は亡きハーピストを片っ端から追いかけたと、いつかのの雑談で話してくれた。葉巻をプカプカ吹かしながら、シカゴロックの金曜日ジャムの常連にもなってくれている。


 そんな放蕩者だったチヒロも今や普段はペンキ職人として、また家では得意の家事のほとんどをこなすという。


 勿論、ライブは我々が先鋒である。

 リハーサルでは、「こんな感じで。」で終わり、先にPAバランスをとって(シカゴロックではこの作業が大問題)、近くに腹ごしらえに向かっていた大野木氏御一行。

 そのすきにCatfish、大野木氏のアンプバランスをこっそりメモったりしている(その後、一人慣れた天神橋筋商店街へ消えて行く・・・)。


 ボクとチヒロ、バーテンのI山は居残って、相変わらずの雑談をしていたらご常連さんが早々と入店され、ジャムでお世話になっているミュージシャン方などお客さんは有り難い事に思った以上に来て頂いた。

 

 Catfishの即興インスト(当然、緩めのガッゴガーッゴ)で始まる。





 

 やっぱりヨタヨタもあったが、約一時間あっという間に終わった。

 ご存知の通りシカゴロックの構造上、ドラムセットから客席は全く見えない。

 ボク自身ではお客さんの反応を確かめる術は無かったが、一曲久し振りに唄わせてもらったりした。


 エンディング?では、チヒロ、何を思ったかギターを置いて、ドラムとハーモニカだけをバックに店内を練り歩く。果たして受けたんでしょうか?


 大野木ブルースバンドは、勝手の違うシカゴロックの音環境に何度もリハーサルから四苦八苦しておられたが、新曲も交えて、息の合った変わらぬ演奏で締めて頂いた。

 時間があれば、ジャムセッションでもやりたかったところだが、遠方ということもあって終演後に短い言葉と握手を交わして「今度は、京都で!」と見送った。


 再びこのユニットが、今後集まる事は想像出来ない。

 実際、チヒロともCatfishとも別れ際にそんな言葉を交わすことはなかった。

 というボクの胸の内では、シカゴロック限定でをこっそり企んではいる・・・。



 ギターの三島氏が、MCで唐突に発表しておられた。
 大野木一彦ブルースバンドとしての第二弾CDの発売準備が進行中だそうだ。

 ファンには、朗報ですね!


 お越し頂いた御客様有り難うございました。

 そして共演の大野木氏、三島氏、重いウッドベース持参だったZEE氏、ドラムの橋本氏もさぞ叩き難かったことでしょう。



 さてさて、そんなチヒロとは、昨年から何かと一緒にやる機会が増えました。

 発端は、シカゴロックマスターS山氏。

 STONE COLD BLUES BAND

 命名もマスターです。


 この名義でのライブが、月が変わって2つ決まっております。



 まずは、2月2日(土曜日)

 "Subterranens(サブタレニアンズ)"


 

 

 イベント名ですが、古い付き合いの人ならば、「あれ?」と思ってくれるでしょうか?


 2002年まで、松屋町筋の裏通りに小さなバーがあり、そこを月一度の根城にしていた時期があったのです。なんばや梅田での路上演奏時代に唯一ライブを定期的にやらせてもらっていました。

 平日や昼間のランチタイムも個人的にボクはお世話になったし、のちに某仲間が店を引き継いだこともありました。

 20代最後30歳になる夜、カウンター越しに他愛もない愚痴をこぼしながら、ジンバックを舐めた夜。忘れもしません。それから15年が経ったのです。


 そのサブタレニアンズ関係者が、主催するイベントに呼ばれる事になりました。いや、こっちが頼んだんだ。

 しかも、まさにその「サブタレニアンズ」があったあの場所です。
 
 

 
 伊勢から急遽、彼も縁のあるアイパー大西も呼びます。
 (クレジットに、w/Ayako Minamiとなっているのは、ボクの大きな勘違いで、ちなみに彼女は東京3Daysライブが控えています!)

 

 Stone Cold Blues Band w/アイパー大西

 栄チヒロ/ギター、ヴォーカル
 久米はるき/ギター、ヴォーカル
 三木あきら/ベース
 TAKAGIMAN/ドラムス

 アイパー大西/ハーモニカ、ヴォーカル


 場所/地下一階

 時間/18:00オープン 18:30スタート

 チャージ/2,000円(1ドリンク)

 
 他出演/カワガラス
     暴言SALE
     SARAEVO

 DJ/Mitsuo Tanei

 Food/Koum (タンドリーチキン・タコバーガー・ミネストローネ)

 
 地下一階ホームページ
 http://www.perversion-web.com/chika-ikkai/top.html

 大阪市中央区南船場1丁目1-12 企業交流プラザビルB1F
 TEL.06-6263-1133

   

 

 
 もうひとつは、これ!

 今月初めてお世話になった心斎橋のCOHIBAで、単独で2ステージ。


 

 この日は、Ayako Minamiもアルト、吹いてくれます!

 前回も皿を回してくれた、ブロンさんが今回もハウスロッキンしてくれます!


 ジャムセッション突入の可能性もあります。

 是非、お越し下さい。踊りましょう!


 
 STONE COLD BLUES BAND
 with Ayako Minami (Alto Saxophone)

 2月10日(日曜日・翌日は祝日です!)

 場所/心斎橋 DINER BAR COHIBA

 時間/19:30オープン 20:00〜

 チャージ/2,000円(別途飲食)

 
 大阪市中央区心斎橋2-7-11 日宝ロイヤルビル2F
 TEL. 06-6213-6687
 
 http://www.teddyboyrocker.com/cohiba/cohiba.htm



 この夜が、ファースト・コンタクトだったかな?

 
 
 是非!是非!是非、お越し下さいませ!





| ライブ始末記 | 22:40 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
1/26 SAT. CHIHIRO,TAKAGIMAN & Catfish YABUSHITA at ChicagoRock.
JUGEMテーマ:音楽





 

 もうすぐ15年目になる勤め先のある上町台地周辺は、大阪でもいわゆる文教区と呼ばれる一帯である。

 公立、私立高校、カトリック系女子校などが、背中合わせにある。

 だから、出社時刻の8時前頃は、道いっぱいに歩く彼ら一団を避けながら車を走らせなければならない。


 年が明けてしばらくしてから、彼らの動きや目つきが変化している事にふと気づいた。


 「そうか、受験だな?」


 折しも、大阪某高校における部活動での顧問の体罰による自死事件が起きたところだ。

 公立高校で専門体育科のある学校として、その高校の認知度は昔から高い。

 地元大阪のバスケットボール部が、その事件の舞台だということで、ボクには身近な問題で推移が気になる。


 ボクは、中学高校の6年間バスケットボール部に所属していた。

 30年も前の話だ。

 中学校は、赴任したばかりの顧問の先生と共に3年後、考えもしなかった大きな成果を上げることになる。

 
 ボクは、ここで『体罰』の言葉は使わない。

 確かに、幾度か経験している。

 愛のムチと時が過ぎても信じる。

 この感覚は生涯変わらないだろう。

 ここには、当該者しか体験出来ないある種の一体感が形成される。

 この強固な連帯感が他者を寄せ付けない経験をした。


 ボクは、暴力を決して肯定している訳ではない。

 強者から弱者への言われの無い一方的な攻撃からは、何の効果も生まない。


 しかし、この某校でも、実際に効果を生んだ輝かしい歴史があったのだ。

 指導者である顧問は、結果を望まれ、いつしかその成果が自己保身に変質し、成果を望む部員との間に主従関係を構築していったのだろう。

 


 ボクは、高校に進学し、入学と同時に同じ運動部に入部した。

 その学校の指導者と称するのは、OBだというどこぞの大学生だった。

 競技には無関係の筋トレを延々やらされたりと、強くなる筈も無いことは一ヶ月もしないうちに明白になった。夏になる頃には大多数が辞めた。

 脈々とそんな絶対服従が受け継がれてきたのだろうが、ボクらは叛乱を起こした。

 「やめるのは、オレらやなくて、おまらえらや。」

 先輩がボクらを代弁して、その大学生の胸ぐらを掴んだと記憶している。


 昨日まで息巻いていたOBは、それから指導しなくなった。

 その行為が良かったのか、悪かったのかは分からない。

 指導者不在のボクらに、当然試合では結果は出なかった。


 生き死にを考えざるを得ない部活動での暴力とは一体どういったものだったのか?

 
 ことあるごとに「何十発殴った」らしい。

 目撃している部員も多数あったという。

 彼は、主将だったというではないか?


 またあの市長は、薮から棒に受験中止、教師全員の入れ替えなどとぶち上げた。

 在校生・受験希望者・父兄などから憤まんの声が挙げられている。

 但し、不思議にも当の教師達の声が聞こえて来ないことが、気味が悪い。


 ボクが中学時代、世間は『校内暴力』一色で、地域の学校は荒れていた。

 登校したみたら、ガラスが無かったこともあった記憶がある。

 教師に対する暴力も公然とまかり通っていた。

 近隣の学校とのいざこざも幾度も経験したし、どういう訳か名指しされた事もあった。

 試合の最中でも、胸ぐらをつかまれたり、肘打ちなど珍しくもなかった。

 部活は、今思えば学校にとっての生命線だったのかもしれない。


 数年前、そんな当時の同級生や後輩たちが集まって、恩師である顧問の先生を囲む会を企画した。

 いつ蹴り飛ばされるかとビクビクしていた当時と変わらない先生がどことなく柔和になっておられた。

 そして、何十年も前のボクらさえも忘れていた或る日の出来事を昨日の様に語り、最後は言葉に詰まって落涙された。


 誤解無き様に何度も重ねるが、暴力は全面的に否定する立場をとる。

 暴力は、生命の尊厳を踏みにじり、服従させる最も卑劣な手段だ。


 問題は、部活が教育課程と一体化してる点である。

 唯一の味方である筈の保護者も片棒を担いでいる。

 自死を選ばざるをえなかった彼には、抵抗の手段として、選択肢が唯一残されていなかったのかと思うと余りにも虚しい。

 某市長は、その悪しき慣習を断ち切る意味で今回の体育科入試中止を決定したのだろうが、事件後に彼が発信し続ける長文のツイートを読むが、すっかり食傷気味。


 学校という閉鎖された特殊な空間で弄ばれるのは、結局はいつも生徒達の方だ。


 この事案は、ご家族からの告訴によって、刑事事件・民事事件として今後より議論を噴出させるだろう。

 「勝利至上主義の弊害」

 「教育委員会の隠蔽体質」

 「教員の資質の堕落」


 いつの時代も異口同音に同じ文句が活字になる。

 解決策は四方から飛び交って、のちに結論を見ず消える。

 無責任と無関心が残るのだ。

 彼の死が、人柱にならない事を祈っている。

 

 「生命を奪おうとする権力に、対峙する強い意気地を社会が培おうではないか!」


 

 最初に戻るが、先週から見かける学生達の列を、この暴力事件を照らし合わせながら見ていた。

 ボクには、参考書と睨めっこした経験もほとんど無い。

 他人に言える様な肩書きやスキルなどひとつも無い。

 
 脱落者だろう。

 しかし後ろめたいと思った事は少ない。

 只ひとつだけ。

 親不孝をしたなぁ、近頃にようやく気づいた不届き者である。


 脱落者でも、不届き者でも、何なりと活きる道は、幸いながらも我が日本には残されている。

 幸せな事だ。



 参考書や受験勉強や卒業証書や肩書きなど持たない仲間がボクの周りにはたくさんいる。

 彼らは、いつも笑っている。

 屈託なく笑っている。


 それでいい。

 居心地が良い。



 そんなチヒロ君(あ、ゴメン勝手に代表選手みたいな紹介になって)をまたまた口説き落として、ライブをやる。

 口説き文句はもう通じないので、強硬手段に出た。

 助っ人参上である。

 神出鬼没のハーピスト、Catfish YABUSHITA

 ボクは、野太いハープの音しか彼の事を知らない。

 年齢も職業も今もって定かでない。

 聞きもしないし、ましてや言ってもこない。


 そんな3人で、ブルースやります。

 どうなることやら、分かりません。

 (無責任やなぁ〜)


 でも、面白くなりそうな予感に渦巻いています。



 前半に書いた流れからライブ告知をするなんて不遜ですね。

 でも賛否覚悟の前半部は、やはりどうしても書き残しておきたかった気持ちです。

 どうかお許し下さい。



 1月26日土曜日

 Chihiro,TAKAGIMAN & Catfish YABUSHITA

 競演には、なんと京都から大野木一彦ブルースバンド!


 場所/南森町・BLUES&SOUL BAR CHICAGOROCK

 時間/19:00オープン 20:00スタート

 チャージ/1,500円(ドリンク別途)







 

 

 

| 最新ライブ・ジャムセッション情報 | 01:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ChicagoRock Friday Night Blues Jam 2013
JUGEMテーマ:音楽



 そういえば、歳が明けてから初めてこの地下への階段を降りた気がする。

 大阪天満宮の裏手、落語定席『繁昌亭』からすぐに見えるジミー・リードとエディー・テイラーが肩を組む電飾看板が目印である。

 

 一階にある、ガールズ・バーよりもそれは目立っている。


 ここに出入りしてもうかれこれ何年だろう?


 答えは、すぐあとに何やらと重い荷物をバーテンのI山君に担がせて登場し、雑談の中で2003年になんばHATCHで開催された『大阪シカゴブルースフェスティバル』頃と判明するのだが・・・。
 シカゴロックには、その時来日したジミー・ドーキンスやボニー・リーの写真が飾られている。
 (余談だが、結局この姉妹都市関係でブルースファンの中では期待されたが、立ち消えになった)


 えびっさんも松の内も過ぎ、年始のご挨拶もおおまかにひと段落した金曜日の夜。

 月に一度のシカゴロックでのブルースジャムセッション。

 特に指折り数えている訳ではないが、過去のブログを振り返ってみたら、

 2012年の5月からスタートさせている。


 それまでの同店でのジャムセッションはと言えば、土曜日のライブが掃けた深夜帯に自然発生的に始まって、終了時間が明け方という時も多々あった。

 近隣住民からのクレームを誤摩化しつつ恒常化していたし、そこで初めて逢うミュージシャンもあった。
 実際それ目当ての人もそれなりにあった。つまりはボクもその内の一人でもあった。
 
 しかし、ホスト役の相次ぐ交代劇や終電が終わって始まるという余りにも無謀な設定も重なって次第に足が遠のいた。


 そういった経緯があって、土曜日深夜のジャムセッションを不定期にして、打診したのがこの金曜ジャムセッションという訳です。

 柄にもないが、おのずとボクがホスト役だ。

 今も口コミが最も頼りなのは、不徳の限りだが、それもまた良いか・・・。


 他所で行われている同様のジャムセッションと比較すれば、常設の機材は勿論、演奏環境などお世辞にも良いとは言えない。
 二度と来ない人もいれば、反対に毎回参加されるご常連さん方、忙しい合間を縫って立ち寄られる方、他府県からの方も時々おられる。カウンターには、二軒目と思しきスーツ姿のサラリーマンの団体が占拠した夜もある。


 月によっては、参加者がまばらでジャムにもならなくて苦笑した夜があったかと思えば、平等に演奏機会が回らなくて冷や汗をかく月の記憶も残っている。

 そんな状況、これまでの回想は、下記過去の日記、
 ChicagoRock Friday Night Blues Jamを見てもらえれば少し分かります。
 http://takagiman.jugem.jp/?cid=18


 ということで、3年目に突入する訳です。

 新年一発目という事で、ご参加が多数あればと、当日まで気を揉んでおりました。


 ボクは仕事を切り上げ、すっ飛んでくるのです。

 バーテン兼PAのI山君は、少し早く店の鍵を開けて待っています。

 この夜も、ビールを数杯飲んで、ジャムが始まる前にすっと引き揚げる常連さんがカウンターの定位置に座って彼と対峙しておりました。

 彼と目と目で「今日は、来るんかいな?」と会話。

 上記に登場したマスターが、いつになく早い時間帯に現れる。

 「重い荷物」は、冷蔵庫だった。

 前のがお釈迦になったとか・・・。流石に冷蔵庫の無いバーなんて、聞いた事も無い。

 案の定、寸法も測らずにどこかで調達したのだろう、収まりきらずにカウンター内で愚痴のこぼし合いが始まった。


 先日、塚本の某バーでのブルースジャムセッションに久し振りに単身で参加した。

 大阪でも有数のジャムセッションが長く盛況なお店だ。


 ボクのジャムの宣伝に赴いた訳ではなかったが、知らず知らず会う人に嘆いていた。


 直メールにTwitterやFacebook経由で事前告知はしておいたが、
 
 やはりこの夜も20時スタートを目前に、お店のドアを開けたのは、初参加のギタリスト氏とハーピスト2人。

 待たせるのは申し訳が立たないので、ベース抜きで始める。


 ・・・と、暫くすると、参加者が時間差でドアを開け、名簿欄には名前が増えた。

 結果的に、数えると21名にご参加頂いた。

 ハーピストにとっては、特に良い演奏環境ではない旨を聞くが、6名も集まって下さった。

 但し、ベーシストの参加者が無く、ギタリストの方がお店に置いてあるベースを手に取って代わる代わる弾いてもらうが、ベース本体の不具合なのだろう、途中からは仕方なくギターをベースアンプに繋ぐという荒技で最後までなんとかかんとかしのいで頂いた。Hさん、Iさん、Kさん、ご苦労様でした。


 これに懲りずにまたのご参加をお待ちしております。

 誰かがいつだったか残して帰った言葉が、シカゴロックのジャムを良い意味か悪い意味か如実に表現してくれているのかもしれません。

 「若い頃の軽音楽部の部室か、スタジオ思い出したなぁ」

 


 まぁ、ボク自身は軽音楽部の部室の経験も無いし、スタジオはメンバーとの喧嘩ばかりで、良い想い出はありませんが・・・。


 この記事書いていて、はて?宣伝しているのか、それとも店をおとしめているのか?分からなくなってきました。


 いやいや、少し回数を重ねて足を運んで頂ければ、なんとなく居心地の良さも見つけてもらえるのかもしれません。

 ちなみにマスターは、年末にも心配なエラい目に遭ったらしいものの、やっぱり生還。

 不死身の猥談は、今年も健在であります。

 しかし、演奏者ではない視点から長くブルースやソウルを目に耳にしてきたボクら遅れた世代には貴重な回想録も時々飛び出します(大半は、自慢話にも聞こえなくはないですけど・・・笑)。

 「マディー観たで」

 「ジョン・リー・フッカーとキスしたで」

 とか、さらりと言われるとね。やっぱり。



 来月も第3金曜日、

 2月15日。

 是非お誘い合わせの上、お待ちしております!

 

 ホストは、もうテトラポットには近づかない不肖TAKAGIMANです。

 午後19:00オープン 20:00〜23:00

 チャージ 1,000円(1ドリンク付き)

 但しフードは、乾きものしかありません。

 すぐ一本向こうの日本一長い天神橋筋商店街で腹ごしらえをお薦め致します。

 お財布が寂しければ、近くに、I山バーテン御用達オリジン弁当もございます(笑)



 最後に、当夜の模様を少し画像に収めました。

 恒例の『一期一会記念撮影』の一枚も残しておきましょう。

















 
 

 Blues&Soul Bar ChicagoRock Home Page

 http://www18.ocn.ne.jp/~bluesbar/

 
 
 
| ChicagoRock Friday Night Blues Jam | 16:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
道頓堀から三ッ寺筋日宝ビル(後編)
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 引き続き。

 

 ただでさえ、平素から集客に四苦八苦している身。

 今回もその不安を抱えたまま当夜を迎えた。


 SHO氏の尽力もあったが、珍しくチヒロ君も少ない人脈を頼りに方々に声を掛けていたらしい。

 中には、20年来の古いミュージシャン仲間との再会もあった。

 シカゴロックでは、毎回観戦くださる常連さんも顔を見せてくれた。

 Sマスターまで登場した。
 (すぐそこのひっかけ橋で道に迷っていると電話で助けを求めていたとか)


 30分押しで、HOBO貫名氏からスタート。

 同じ和歌山からハーピスト氏が脇を固める。

 珍しくレスポールとドブロを交互に弾く。

 40年を越える働くブルースマンとして音が、物語る。

 
 途中、突如マイクを離れドブロを抱えての練り歩き。



 HOBO氏は、和歌山で仕事のかたわら、HOBO'S BARも営んでおられる。

 HOBO'S BARホームページ
 http://hobos-bar.com/

 終演後、聞けば生まれ育ちが大阪。

 なんとボクとほとんどご近所。

 よくいざこざがあった隣の中学校だとか。

 奇遇ですな。


 

 気づけば、店内はほぼ満員。

 がっちり髪をキメたお店のマスターもいつのまにかカウンター内に。
 (一方、シカゴロックのマスター行方不明)

 見知りの顔もまた増えて、これはやり易い。


 待ちきれず、セットに潜り込む。

 前触れもなく、久米君からスタート。


 ここぞハイライト!

 と、久米君がスクイーズしたところで・・・。


 なんと、なんと!見事電源飛びました!

 鳴っているのはボクのドラムだけ・・・(笑)


 同じ様な経験が、15年以上前に一度あったなぁ。

 なんばでの路上演奏を観たという通行人の御婦人からの営業依頼。

 奈良のカラオケスナック?パブ?での演奏。
 この時は、一曲ごとに飛ぶは、飛ぶは、で全く演奏になりませんでしたな。
 ギャラはちゃんと戴きましたが。


 咄嗟にシカゴロック名物バーテンダー兼PAのI山君が、音もなく駆けつけて修復。

 それはそれは見事な立ち居振る舞いでした!


 以後は無事に演奏出来ました。

 ほぼ立ち見のお客さん方有り難うございました。





 

 終演後は、さながら名刺交換会です。

 初見の方やご無沙汰していた人、お客さんに名刺を配る。

 こういうときの為にいつもバッグに忍ばせてはいるものの、渡すタイミングをことごとく逸して、ほとんど残っていたのです。





 お客さんが掃けても居残るボクらメンバーに、マスターから予期せぬ焼うどんとチャーハンのまかないが、振る舞われた。

 旨い、旨い。


 「次、いつしましょ?」

 そんな誘いが、お店側からあった。

 「っていうか、タカギさん、このバンドやめられへんですやん?」

 久米君か、三木君かが、後ではやし立てる。

 
 昨年末あたりから、

 「この編成ではもうこれでやめにしよか?」

 と、ボクはかねがねから打診していたのだった。


 幾つも掛け持ちするのは、如何なものか?そんな不安があったからだ。


 一方で、お店から打診されることなど滅多にあるもんじゃない。


 少し悩んだ振りをして、

 「じゃぁ、2月10日でお願いします」


 ってなわけで、

 STONE COLD BLUES BAND
 w/Ayako Minami


 一本ライブが追加されました。


 2月10日(日曜日)

 心斎橋 Diner Bar COHIBA

 http://www.teddyboyrocker.com/cohiba/cohiba.htm
 

 時間/20:00〜(2ステージ)セッション有り

 チャージ/2,000円(ドリンク別)



 お待ちしてます!





 




 


| ライブ始末記 | 21:39 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
道頓堀から三ッ寺筋日宝ビル(前編)
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 今、立っている場所は、三ッ寺筋の雑居ビル前。

 入り口に幾つもの屋号プレートが並んだ、

 俗に言う『スナックビル』だ。


 足元には、スネアとペダルケース、裸のスネアスタンド。

 集合予定の時刻より30分も早く着いてしまった。


 一本南の筋は、宗右衛門町。

 見慣れた筈の道頓堀のネオン。

 こうして眺めると、やはり目立って主張しているのは、まぎれもなくあのグリコの看板だ。


 正月明けの連休中日だったが、ひっきりなしに人が団体で行き交う。

 宵の口だが、新年会なのだろう、酔客も混じっている。


 ボクは、強張った指先をほぐすため、近くの販売機で缶コーヒーを手のひらで転がしながら仲間を待っている。



 前夜も賑わう場所に居たが、京都だった。

 街並の違いに、人すらも異なって映る。


 知事すら「猥雑」と形容してしまう大阪。

 ボクも知らない往時は、ここら心斎橋界隈も日本随一の洒落た街だったと聞く。

 ゲームセンター、パチンコ屋、ファストフード、東京あるいは外資系のショップ・・・二十代の頃には、徘徊した街も今は昔。

 コーヒーをちびちび舐め、タバコを隠れて吹かしながらそんな回想する。

 
 待ち人一番乗りは、和歌山から参加の貫名さんだった。

 『HOBO』の異名を名乗る、筋金入りのブルース人。

 還暦を過ぎたと言う。

 2本ギターケースを抱えて、

 「タカギ君、ここ?」と訊ねられる。

 「ボクも今、上がって来たとこですけど、鍵閉まってますわ」


 ギターケースなど一式は預かって、一杯ひっかけに出てもらった。

 2本の内、1本はドブロだろう・・・。



 
 ご覧の通り、年季の入ったフロアにしばし一人、ポケットからもう一本タバコを探していたら、まもなく今回の主催者である、SHOさんが、ビシッとリーゼントにキメて登場した。

 SHOさんはドラマーとして、現在ロッキン・イチロー氏らとロカビリーバンドで活動中。

 
 まだ扉が閉まっている今夜の演奏場所、

 Diner Bar COHIBA
 http://www.teddyboyrocker.com/cohiba/cohiba.htm

 普段は、ロカビリー、ロックンロール御用達。SHO氏も常連客だとか。

 ホームページを閲覧しても、画像には、上から下までビシッと固めた人達の姿。

 「ここで、ブルースをやりましょう!」


 去年、南森町のシカゴロックで居合わせたSHOさんからの提案だった。

 「バシッと、ブルースかましたって下さい!」

 彼からこちらへの要望は、それだけだった。


 STONE COLD BLUES BAND

 w/Ayako MInami



 またまた、この名義での出演となった。

 名義云々の前に、実態不明なのだ。

 栄チヒロと久米はるきのギター、ヴォーカル。

 三木あきら、ボクのリズム隊、

 Chicagoから帰国して以来、いつしか毎月一緒にやっているアルトサックスのAyako MInami


 シカゴロックのマスターから、緊急避難的に命名されたままなのだ。


 ほどなく、Ayakoさん、三木君らが静かに登場。

 バーテンさんが、到着して、鍵が開いた。


 2軒分をぶち抜いた店内に、カウンターとソファ。

 壁際にアンプやドラムセットが積まれていた。


 バーテンさんが、ソファやらを店の外に手慣れた物腰で搬出。

 本番には、DJチームも登場するという構成で、カウンター以外は座席がほとんど取り払われた。


 見た事ないが、想像上のミシシッピのジュークジョイントみたい?



 さてさて、本番前。

 初めてお店、DJ陣など関係者もほとんど初対面だ。


 どうなるのか・・・?


 一杯やって帰って来た貫名さんも交え、

 リハーサルの後、DJ選曲のロッキンブルースが大音量で鳴り響いた。




 

 


 

 

| ライブ始末記 | 21:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
2013年始動!
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 年末年始のおとそ気分からもすっかりと醒めた今週である。

 週の初めは、気も体もやはりお約束通りに重かった。

 休み明けの五臓六腑に優しい七草粥(玄米入り)から始動開始。




 三が日の雑煮も餅の数を1個に減らす努力の甲斐もやはり1キロほどリバウンドしている。


 ブログに手を付けるのもお久しぶりになった。

 ページの下まで過去幾つかの記事をスクロールすると、歳をまたいだ数日間が余りにもぼやけて映る。

 毎年新年には、新鮮な気持ちに心を入れ替えようと試みたりするが、結局はこうして時間の経過とともに水泡に帰するのだ。



 演奏も年末から遠ざかっていたので、火曜日はジャムセッションに参加。
 ホストは、ハーピストのまつけんさん

 大阪ではその知名度と集客では、随一だろう塚本ハウリンバーの週一回のジャムセッション。

 近くに住んでいた頃は、たびたび参加させてもらっていたが、ここ数年間すっかりご無沙汰であった。

 思えば、今一緒に活動しているヨシ水野や久米君、三木君などもこのジャムセッションが出逢いの場だったと記憶する。


 近頃ジャムといえば、ホスト役に収まってしまって、参加者の一人として赴く不安は新鮮でもあった。

 この夜は、ギタリストが約15人、ドラマーも7人ほど、総勢25人以上と実に賑やかだった。

 滅多にお会い出来ない方々ともお年賀のご挨拶が出来て一石二鳥でもあった。


 鈍ったカラダと心には、演奏は勿論、合間の雑談も効果絶大である。

 昨年ボクのジャムでもお世話になったドラマー氏とは隣り合わせで耳を寄せ合いブルースドラマーの固有名詞を交換し合った。

 バディー・ガイやマジックスリムのバックアップで名高いジェリー・ポーターの話で盛り上がる。好きなドラマーは誰?の問いがあるなら必ず筆頭に上がる名前だ。
 YouTube上で最近の演奏動画がアップされていてファンには嬉しい限りである。

 
 

 昨夜土曜日、京都へ車を走らせる。

 紅葉の季節から年始の初詣まで、冬の京都はさぞや賑わったことだろう。


 東山二条を折れ、平安神宮すぐそばに車を停めた。

 ハンバーガーショップ『58DINER』

 新年のパーティーライブに、お呼ばれしたのである。

 年に一度、ボージョレーの季節にだけ結成される「新酒BOYZ」の番外編。

 
 息子はハンバーガー、家人はワインで釣って同行。

 予定よりも早く到着したので、初詣の喧騒もすっかり落ち着いた平安神宮を訪ねる。

 東山の斜面の夕映えで見事で、まだしめ縄が飾られた荘厳な朱塗りの門の向こうには、大鳥居が覗く。






 初めて訪れたハンバーガーショップは、二条通に面していて、吹き抜けの二階スペースがあるアメリカンな作りだ。

 
 


 店の入り口スペースにスネアとハイハットのみセッティング。

 ギターは、エガミ君、ベースは、三木君だ。



 
 打ち合わせを少しやって、午後7時半頃から2ステージ。

 時間を追うごとに続々と常連客を中心に集まり、店内はまさしく新春パーティーの様相。

 後半は、ボクら以外のミュージシャンも即興で巻き込んでの午後11時頃までセッションとなった。




 慣れないブラシのみの演奏に、やはり四苦八苦してしまったが、初見の好意的な人達のおかげで楽しい夜だった。

 わざわざ駆けつけてくれた友人達もあり、ここでも新年のご挨拶を交わした。



 終演後にようやくありついたハンバーガー。

 一気に食す。

 


 というわけで、本年もつつがなく始動!
 今夜も一風変わったライブ。心斎橋へ!

 


 





 
 

 

| ライブ始末記 | 15:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
凧々、あがれ!
JUGEMテーマ:大晦日/お正月



 日曜日だが、ご近所さんの玄関先には、大量のゴミ袋が山積みだ。

 新年最初の収集日だからだ。


 我が家も年末年始にぎっしり溜まった三袋を慌てて出す。

 
 祝い箸の袋やらが妙に名残惜しい。



 なかなか前向きになれないご時世ではあるが、正月気分も一気にリセットして新しい年を元気に迎えようではないか。

 「元気があれば、なんでも出来る」


 
 昨日は昼過ぎから子供も合わせて総勢10数名の友人達が、三々五々、我が家に集った。

 「新年会」の呼びかけに応じてくれたのだ。


 年末に家人が某懸賞で缶ビール(発泡酒だが)3ケースを引き当て、この日まで階段下で待機していたのだ。

 冷蔵庫のシャンパン、年季が入ってきた梅酒なども振る舞い、屋根裏部屋では午後11時まで笑いが絶えなかった。

 一石二鳥。おかげで、タッパに残ったお節もほとんど姿を消した。


 
 
 若い頃はさほど顧みなかった家族、友人・・・大事にしたい対象は、年を追うごとに増えた気がする。

 今年も新しい出逢いに恵まれる事を願っている。



 
 息子とクリスマスが終わってから、ずっと一緒に口ずさんでいた「お正月」の唄。

 「も〜いくつねると」というやつだ。


 そう歌詞の一番に、『凧』と『コマ』が出てくる。


 年末に松屋町で、両者市価よりもずっと格安で購入済みだった。

 コマは、ボクの方が気が早く旧年中からすでに自慢げに回しまくっていた。



 凧の方は、三が日に揚げようと約束していたが、機を逃し、4日の午前中に大きな公園に持って出た。

 何十年振りかの凧揚げ・・・。

 子供の頃、冬休み駆け回った同じ公園だ。


 その時分は『ゲイラカイト』が一世を風靡していて、所謂和凧の陰は薄かった。

 子供の力では戻せなくなるまで飛ぶゲイラは、大概高圧鉄柱や電線に絡まって冬の間揺れていた。



 購入したのは、奴凧。



 

 曇り空に適度に良い風が、舞っている。


 滑り台の方に、興味が向かう息子をよそに、家人と必死で風を捉えて試運転。

 なかなか勝手が分からず、揚がりそうになっては、墜落を数回。



 暫く難儀して、奴凧は見事空に舞った。

 必死なボクらをよそに、滑り台でばぁちゃんと遊んでいた息子を大声で呼び寄せ、宙をゆらゆら舞う凧の姿を仰ぎ手を叩く。

 



 「たこ、たこ、あがれ、てんまであがれ!」

 そんな唱歌もあったなぁ〜。






 さて、1月ライブもあります。

 こちら本年も何卒宜しくお願い申し上げます!


 叩き始めは、京都。



 1月12日(土曜日)

 新酒ボーイズ「ふたたび!」


 先日某所パーティーにて一年に一度結成(?)される「新酒ボーイズ」が、
 京都岡崎のハンバーガーショップ、58DINERに登場します!

 ブルースも含めていろいろ。ほぼインストルメンタル。
 ボクはスネアにブラシとハイハットのみです。

 「ハンバーガー美味そ〜〜〜!」

 メンバーは、江上マサノブ(ギター)
       三木あきら(ベース)
       TAKAGIMAN(ドラムス)

 

 場所/ 京都岡崎・58 Diner
 http://www.58diner.com
 他詳細未定。




1月13日(日曜日)


 

 SHO Presents
『BLUES LIVE! at COHIBA』(仮称)


 ロッキン・イチロー氏らと活動するドラマーSHO氏企画ライブに
 Stone Cold with Ayako Minamiで参加します。

 共演には、和歌山からHOBO貫名氏緊急参戦も決定!

 場所は、アメリカ村にある、Diner Bar Cohiba

 ホームページを開いてもらえば、お分かりの通り、ロックンロールなお店でブルースやらせていただきます!

 出演 /SHO(DJ)
    HOBO貫名(和歌山)
    STONE COLD BLUES BAND
    w/Ayako Minami
   
   栄チヒロ(G,V)久米はるき(G,V)三木あきら(B) TAKAGIMAN(D)
   Ayako Minami(Alt Saxophone)

 場所/大阪アメリカ村・Diner Bar Cohiba
 時間/19:00オープン 20:00スタート
 チャージ/2,000円(ドリンク別)
 
 大阪市中央区心斎橋2-7-11 日宝ロイヤルビル2F
 TEL/06-6213-6687
 http://www.teddyboyrocker.com/cohiba/cohiba.htm


 


 
| TAKAGIMANの四方山な話 | 10:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
どこにでもありそうな家族のお正月。
JUGEMテーマ:大晦日/お正月



 例年よりも少しばかり長い年末年始休みもあと僅か。

 親戚縁者も数えるほど、あの帰省という経験も無いボクにとって、晦日から正月三が日にかけての風景は、ほとんど変わらない。

 思春期から二十代までは、退屈に思えた家には寄り付かず、友人達と街へと繰り出した時期もあったが、今はもうそんなことはない。

 家族で囲む元日の朝からの短い数日は、静かに迎え、賑やかに過ごしたい。


 前記事で、年越しをベッドのうたた寝でやり過ごしてしまったことは書いた。

 代わりにおかげで初日の出(もちろん、名所のご来光など有り難いものではなく、前日の朝と変わらぬベランダから眺めるものだ。)を拝めた。

 午前7時5分。

 空は、すっかり白んで明るく、拍子抜け。



 今年もほとんどが、突貫手作りのお節料理とお雑煮がギリギリに片付けたテーブルに並べられた。

 出汁の香りが、途端に部屋をお正月に演出してくれる。

 大阪はじめ関西のお雑煮は、白味噌というが、我が家は御すましである。餅も焼かない。
 これは偶然にもボクの実家も家人の実家でも同じだから、揉める事もない。




 ボクの場合、酒はやらないので、お節料理を囲む時間は、あっさりしたものだ。尚かつ、減量指令発令中の為、いつもは2個の餅も1個に・・・。


 昼には近くの実家に住む母親を訪ねて、お年賀のご挨拶。帰省中の実弟も加わって酔ってもないのに相変わらずよく喋る。


 一息ついて、実家近くのお宮さんへ歩いて参拝に向かうが、まさかの人出に柏手だけ打ち、ベビーカステラだけ素早く買って退散。




 翌日、あらためて自宅近くの小さな神社へお参り。




 今度は、きちんと3人並んで手を合わせ、おみくじも引く。

 『吉』なり。まずまずか。




 話は前後するが、初日の出のあと、暴れてお節準備の邪魔をする息子を鎮めようと、自宅横にある当たり付き100円自動販売機で缶コーヒーを買う。
 なんとなんと、「ピーッ!」当たった!

 息子と2人「ウワ〜ッ」と慌てて、何故かココアのボタンを押す。

 そう言えば、実家で弟と母が、年末ジャンボに一喜一憂していたが、ボクは新年早々ジュースでビンゴ、少しさかのぼって家人は、某SNSサイトの懸賞で、『のどごし生』3ケースが当たったのだ。

 新年早々運を使い果たしたのか、もしかしたら運がある年になるのか?試しに暫く買っていない『ロト6』にでも賭けてみるべし!
 (過去2度、6つの数字の内4つ的中経験有り)



 3ケースある発泡酒は、週末の新年会で泡と消えるだろう。



 皆様のお正月は、如何ですか?

 形は違えど、愛する人達と一緒でしょうか?


 




| TAKAGIMANの四方山な話 | 11:23 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
謹んで新年明けましておめでとうございます!
JUGEMテーマ:大晦日/お正月



 やってしまいました・・・・!!

 えらいこってす・・・・!!

 何をって・・・・?

 只今、午前4時過ぎ・・・・。


 

 ・・・ね、寝てもた・・・。



 嗚呼、歳をまたぐ特別な一瞬をどうやら布団の上で寝息を立てて迎えた。

 
 振り返ったら2012年は、何度となくいや毎日の様にこんな夜が続いた気がする。

 またまた『登場人物』主役は3歳の息子だ。

 彼を寝つかせる手段である絵本の読み聞かせ。


 この年頃の子供の持つ家庭ならば、ごく普通の親の役目でしょう。


 ・・・が、当の親までが、睡魔に巻き込まれて深い眠りに落ちてしまう。


 家庭の時間軸がいくら子供中心に回っているとは言え、これは始末に悪い。


 
 そして、ついには、一年の締めくくり『大晦日』まで・・・。

 「やってまいました」


 救いは、家族3人一緒というところでしょうか。

 美輪明宏(丸山明宏)の「ヨイトマケ」が生で聴かれなかったことが、惜しまれる。
 (たった今、YouTubeで視聴。激しく涙腺が緩む)


 井岡選手の見事なノックアウトは、一人の母を呼んで囲んだ年越しそばをすすりながら4人で観る。

 珍しく天ぷらの乗った、出雲のお蕎麦。




 ここまでは、この数年と同じ風景だったんですが・・・。


 そんなこんなで、ブログでの1年を総括する時間も中途半端になりました。

 

 あらためまして、2012年もお世話になりました。

 そして、明けましておめでとうございます!


 旧年も「時々ブログ観てますよ」と、初めての人からも声を掛けられることもしばしば。

 恐縮の極みですが、有り難い事です。

 
 『読者』と言わせてもらって良いのか、そういう方々が気にかけてくれることは、

 平凡なボクの日常生活の中で何よりの励みでもあります。

 以前の様な頻度ではありませんが、のらりくらりと書きますので、宜しくお願い致します。
 (過去なら、尾ひれを付けて記事にしていた些細な日常は、すっかりFacabookに移行しつつあります)


 背後のキッチンでは、家人がお重に積め忘れたお節料理と雑煮の支度に急いでおります。

 ボクは、祝い箸と息子へのお年玉のポチ袋(今年からは紙!)に筆で名入れを済ませ、
 
 晦日に書き損じた2012年最後の日記を少ししたためておきましょう。



 12月29日の土曜日は、仕事納めでありました。

 1年たまった職場の埃を洗い流し、一旦帰宅。

 着替えて、神戸に車を走らせます。


 阪神高速は、いたって空いていました。

 メリケンパークのポートタワーを灯りを車窓から眺め、到着したのは、

 Pub James Blues Land


 一昨年、飛び込み同然で企画『Blues Before Sunrise』を持ち込んで以来、お世話になっております。

 内装、音響、演奏するにも観るにも全てにおいて気持ちの良い空間です。








 この日は、神戸のハーピスト、いちこう氏が企画したライブイベント。

 昨年亡くなられたドラマー、島田和夫さんを偲ぶ会。

 言うまでもなく、元・憂歌団のドラムスです。


 ボク自身は、言葉も交わした事は無く、拝見する側でした。

 南森町のブルースバー・シカゴロックには、Sマスターともども古い縁があり、いろいろなユニットで何度もライブをされていた為、僭越ながらもシカゴロックを代表して、という形で出演させてもらいました。


 ボクは到着するなり、リハーサルも無く、チヒロ、ヨシ、三木、Ayakoというメンバーに混じって30分ほど叩き、あとは他のミュージシャンの演奏を拝聴。

 若き日、客席から観た大先輩の懐の深い演奏にはあらためて感嘆しました。

 思えば、その若き日、「ブルースをやらんか?」と誘われたあの頃。

 お手本にしていたのは、「憂歌団」でありました。

 当時のギタリストは、ボトルネックを弾いていました。

 ボクもスネアとブラシだけで、夜更けの倉庫街で明るくなるまで毎夜練習なのか遊びなのか分からない時間を潰していたことを思い出しました。

 あの頃のメンバー等とは、もう2度と一緒にやることは無いでしょうが、バンドの楽しさを初めて味わった瞬間だった気がします。


 3時間ほどのライブ中、ずっと即興ペインティングをされておられたのは、島田氏のお通夜告別式でお見送りされたご住職でした。

 最後にJamesのドラムセットに飾られ、鈴木マスターの献杯でお開き。


 去り難く居残っていたら、マスターが大量のまかないを振る舞ってくれました。

 これには、空腹のメンバーも声を上げて喜び、やんやと残らず平らげました。

 鈴木マスター、有り難うございました!






 ちなみに2月には、同店で行われる

 blues.the-butcher-590213

 ニューアルバム『The Sure Shot-Live』リリースツアーのオープニングを昨年に続き務めさせてもらうことになっております。

 ニューアルバムは、あの名ドラマーJames Gadsonとの競演ライブ盤だそうです!

 詳細は、追ってアップします!




 翌日は、恒例シカゴロックの忘年会?ライブ。

 勝手に名前がフライヤーに掲載される。

 出演者とお客さんの区別がつかない。
 
 いつ呼ばれるか分からない。

 誰とやるかも分からない。

 何時にお開きかも分からない。



 Sマスターらしいと言えば、それまでですが、今年も名前が掲載されていたので、皆の顔を見に行って参りました。



 

 案の定、ゴチャゴチャの店内。

 この年末にしか会えない人もいます。

 抱擁、握手、世間話の合間に演奏。

 2時間待って、お呼びが掛かりました。いや自ら割り込んだ形です。




 上の画像は、割り込む前、心斎橋『タコタコキング』のオーナー江部氏のボビー・ブランド熱唱の図。

 勿論、横でボクは踊ってます。

 江部さんとは、痛風同志でもあります。あちらは筋金入りですが(笑)



 

 そんなこんなで、振り返れば2012年も愉快な1年だったんでしょうかね?

 そう2年前の晦日、正月、ボクは車椅子だったんですから・・・。


 

 本年も皆様、何卒宜しくお願い致します。

 佳いお年になりますように。



 幸い、おかげで初日の出を今から拝めそうです!


 

 
| TAKAGIMANの四方山な話 | 04:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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