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春夏秋冬。
JUGEMテーマ:日記・一般



 日向に出て、足元から伸びる影が、濃くなった。

 待ち焦がれた「春」がやっと視界に現れた。


 本来なら、桜の莟がいっぺんに膨らんで季節が加速するはずが、

 「一歩下がって二歩下がる」感じ・・・。


 色の無い冬枯れの季節もまんざら嫌いではない。

 日本にある四季は、このめりはりが、魅力だろう。


 3月は別れの時期でもあり、物悲しさを味わい涙する人もある。

 方や、4月は、新しい出逢いが待ち受けている。

 物事を一掃して、気持ちを新たにこしらえる季節は、一瞬だ。

 見逃しては損だ。



 ボクにおいての、思えばこの一年間は、様々な出来事があった。


 骨折からの復帰に始まり、

 時を同じくして、

 新しい住まいを一から建てた。

 余程の事が無い限り、これから生涯にわたる衣食住を送る特別な場所だ。


 記憶では、去年の今頃、その為の手続きがようやくひと段落して、あとは体を移すだけの段階に差しかかっていた。


 正直なところ、歓びと同じくらい不安もあった。



 あれから一年・・・。

 あまりにも早かった一年・・・。


 誰も手に触れず真新しかった壁や床に、一年分の跡を見つける事が出来る。



 土地探しから、設計、ローン手続き、そして建築までの一切をお任せした建築士氏とは、今も交流がある。

 感謝してやまない。


 S建築士氏のブログに、その一部始終が更新されている。

 あらためて観ると、意外と難産だったんだ、と吃驚する。

 
 (狭小住宅)『大きなテーブルのある小さな家』とネーミングされた。

 http://blog.goo.ne.jp/saito-archi-2/c/74ad9153602a1b6c896d1bc61d7f41d2

 


 先日、家人が持ち帰って来た鉢植え。

 息子が、早速一輪だけ開いていた花をポッキリともぎ取ってしまう。


 勿体無いので水を差してやると、見事に生き返って、花びらを再び広げた。

 生命の営みに、肥やしは必要なんだ。


 降り注ぐ陽射しをいっぱいに受けて、生き物達が息を吹き返す。

 人も同じ。

 力こぶ作って。



 

 
| TAKAGIMANの四方山な話 | 11:01 | comments(0) | - | pookmark |
R.I.P. Jerry "Boogie" McCain
JUGEMテーマ:音楽



 ハーピストの、

 Jerry "Boogie" McCainが亡くなった。


 3月28日。

 81歳だったそうだ。
 
 (ニュースソース)
 http://www.gadsdentimes.com/article/20120328/NEWS/120329805


 ブルースハーピストなら、一度はチャレンジしてみたいと思わせる、あの曲。

 「She's Tough」が有名だ。

 南部アラバマ生まれ、50年代からEXCELLOやTRUMPETなどに泥臭いサウンドを多数残して来ている。

 サザン・ハープという言葉が実際に使われているかは分からないが、そうとするなら、その最も重要なブルース・ハーピストの一人だろう。

 当時の自己単独アルバムは無く、ほとんどがシングル盤あるいはコンピレーション盤に収録されている録音が多く、レーベルもまちまちで、今も入手困難な音源もあるはずだ。


 記憶を確か辿れば、最初にジェリー・マッケインの名を知ったのは、このコンピレーション・アルバムだった気がする。(個人的にこのアルバムのリイシューを望んでいる一人だ。)
 うかつに、同級生Oの口車に乗って、ある時期に手放してしまった事を今更後悔している。

 

 50年代の爆発的なハーモニカとバンドの勢いは、その後数多くの信奉者を生んだ事はまぎれもない。

 リトル・サニーも"That's Want They Want"をやっていたし、南部テキサスの白人ハーピストのKim Wilsonなどは、"She's Tough"は十八番の一曲だ。

 
 ボクは、時々ブルースDJもどきな事をライブやジャムセッションの合間にやって遊んでいた時期があったが、必ずこれらのジェリー・マッケインのブギをかけた。




 
 何気に重宝している、この時期のベスト盤も調べたら、目が飛び出る高値がついている。
 (やっぱり、あるうちに買っとけ!はブルースの場合正しい。)





 
 あらためてこの訃報を受けて、マッケインの映像を探してみたが、YouTube上にもほとんど見当たらない。

 珍しいインタビューを一本貼付けておこう。

 

 


 近作は、チェックしていないが、上のアルバムは、60年代のゆるい南部ハープが全編に聴ける。

 下のモノは近作だろうか?

 一曲ごとにダウンロードも視聴も出来る。(変わらない・・・)


 伊丹の加藤さん、京都の大野木さん、東京のKotezちゃん他、みんな悲しんでいるだろうなぁ。

 合掌。


| ブルース・エトセトラ | 20:05 | comments(2) | - | pookmark |
尾張名古屋奮闘記(番外編)
JUGEMテーマ:地域/ローカル



 (ライヴで行った筈)の名古屋回想、

 番外編。



 ボクの様に、平日は仕事に就き、家庭を持ち、週末になると仲間とワイワイと好きなブルースに浸る、そんな人が多い。

 ジャムのホストをやり始めて、あらためて気づいた事実だ。

 皆さんそれぞれに平素は、お堅い職業の方から現場仕事に従事している人、バイトや派遣で食いつないでいる若者など、年齢も出身地も様々だ。

 けれど楽器を持って、「ブルース」「Blues」の合い言葉の元に集まると、そんな気苦労を感じさせない。


 その一方では、諸事情で、そういった場に足を運べなくなった人も知っている。

 家庭の事情、仕事の事情、これも理由は挙げれば様々あるだろう。

 
 ボクも一時期は、さしたる理由があった訳ではないが、暫く遠ざかったり、また意識的にその場を遠ざけた悪ふざけもあった。


 しかし、やはり戻る場所はここしかなかったのだ。

 
 今回は、家族を伴っている。

 罪滅ぼしという後ろめたさは微塵も無いが、やはりまだ物心もつかない息子のいる家庭をほったらかして、家を空ける訳にはいかない。

 家計の事を考えれば、無駄な出費と指摘されても仕方がない。


 幸いにも理解があることが、救いである。


 こんな時は、いわゆる家族サービスも大事なのだ。


 名古屋見物をどこにしようかと、迷っているうちに当日がやってきて、何らこの後の行き先も未定である。

 二歳の子連れの行く場所は、近頃限られてくる。


 犬山城なんかええよ。とのレクチャーも受けたが、
 
 結局道中に通り過ぎたホテルから近い、

 『東山動物園』

 に、さっさと決定した。


 ライヴの疲労感は、不思議と微塵も無く、唯一の心残りは大浴場に入れなかった事ぐらいでホテルを出る。

 真っすぐ走ったら、もう動物園が見えて来た。


 ところが、午前10時過ぎの時間帯だというのに、駐車場は満車、しかも公園沿いの一般道らしき路肩にも路上駐車で一杯である。


 随分くねくねと走って、なんとか奥の駐車場に無事に入れた。

 係員に尋ねると、何かのイベントが朝からあったとか。


 息子が生まれて以来、本人はさほど喜んでいる節は見当たらないが、動物園は定番となっている。

 

 (やはり、コアラか・・・。)

 東山動物園は、古めかしく、どこか懐かしい佇まいで迎えてくれた。

 隣接する施設も含めれば、相当に広い敷地なのだろう、頭の上をケーブルカーが往来する。

 

 


 変な天気で、晴れたかと思ったら、冷たい小雨が降るの繰り返しだった。

 
 ライヴでは活躍出来なかったカメラを取り出して、片っ端から撮る。

 

 
 
 


 これは、情操教育に良い。

 動物の慰霊碑の前で「ナンマンダ〜」

 


 動物園を出た後に、ホテル方面へ逆戻りして、先のひつまぶしにありつく事になるのだ。



 帰路は、ほぼノンストップで大阪を目指す。


 たった一日離れただけの景色にホッとするのも不思議なものだ。

 土産のういろうを実家の仏壇に供え、早速切り分け、バァちゃんと4人でいただく。


 
 4月は、松阪に行く。

 前回余りの行列と待ち時間にへこたれた、『牛銀』へ行くべきか悩む。


 伊勢神宮も何十年振りかで良いかも・・・。

 



 以上、名古屋奮闘記これにて、完結。

 

 

 
| 旅・街・エトセトラ | 22:10 | comments(8) | - | pookmark |
尾張名古屋奮闘記(グルメ観光編・パート2)
JUGEMテーマ:グルメ


 
 引き続き名古屋の備忘録。

 よく大阪は、食の文化が自慢される。

 典型的な大阪人の口からもそんな言葉が繰り返される。

 ボクは、一時期の京都暮らしを除いて大阪から一度も出た事が無い典型的な浪花男だ。

 そんな『食は大阪』的な吹聴にずっと違和感を感じている。

 過去、上方は、全国からあらゆる食材が集まる天下の台所だったことは確かではある。


 が、しかし、道頓堀や心斎橋、梅田界隈にある飲食店が、それに当たるのかどうかは疑わしい。

 高額な代金を払えば、旨いものは、どこでもある。

 実際は、老舗ではなく、チェーン系列店で一律の味を昼食にする確率が断然高いのだ。


 ちょっと近郊の旅をして、地場の魚や野菜に舌鼓を打つ方が、ボクは嬉しい。

 味覚の記憶は、幼い頃に刷り込まれるもので、たこ焼きや串カツが大阪を代表する味だとは、恥ずかしい気もする。



 さて名古屋グルメの続きだ。

 
 有名店などのリサーチは、一切して来なかった。


 「あんかけスパ」は、リハーサルが終わっても、胃袋にずっしりと残っていた。

 欲張りすぎた・・・。

 その為、池田ヤング君の飯の誘いも断る不義理をした。ちなみに彼らはどこで夕飯を食べたのだろう?


 ライヴが、11時前に終わって、ヤング君から再度打ち上げの誘いを受けた。

 今度も断る訳にはいかないし、気づいたら空腹になっていた。


 寝ている息子と徹夜明けで疲れ果てている家人をホテルへ送り届け、徒歩で今池から近いオールナイトの居酒屋で遅れて合流。

 こちらの参加は、アイパー大西とボクの二人だけだったが、短い宴を楽しむ。


 座敷のテーブルには、かんてき(七輪)が鎮座していた。

 すでに、注文が通っていたらしく、茶髪のオネエちゃんが、その具材を威勢よく運んできた。

 オネエちゃんにわざわざ「これ、何?」と聞いたのに、肝心の名称は、失念したが、豚のホルモンの上に見えなくなるくらい赤いタレがたっぷりと掛かっている。


 焼く!

 香ばしい香りとともに、これもきっと八丁味噌だろう、甘い匂いが胃袋を刺激する。

 迷わず、箸を伸ばして、一口。


 「旨いやん!」お世辞ではなく、本音。

 長年苦手だと思い込んでいた、八丁味噌、克服の瞬間である。

 
 (写真は、アイパーにア〜ンするお茶目な山田とも氏)

 
 ・・・やはり今書きながら、このホルモン焼きの事が知りたくなって、ネット検索してみた。

 屋号は、『やぶ屋』

 http://www.yabuya.com/pc/

 食したのは、同店名物の「とんちゃん焼き」

 
 (写真は、甲斐甲斐しく焼き係を努めてくれたドラムの美穂さん)


 ビールの肴には、最高だろうな?
 (ボクは、元々が下戸な上に、痛風対策のためアルコールを取らなくなったが)


 鶏の唐揚げも良かったし、断固拒否していた味噌カツにも躊躇無く箸が進む。

 

 「白ご飯くれへん?」と言いたい気持ちを押さえたほど、味覚に合った。

 「大阪でも、流行るで!」

 と、さっきのオネエちゃんに帰り際に言うのを忘れたなぁ・・・。



 目からウロコ。


 翌日の昼には、『ひつまぶし』を予定していたところ、ヤング君から、

 「ホテルからすぐの今池のガスビル地下に店あるよ」

 と、情報収集。そこに決定!



 ぐっすり寝込んだ翌朝。
 ホテルの朝食も名古屋的なのか、品数が多い気もする。

 たいていのビジネスホテルは、パン食がメインだが、ここは和食の占有度が9割だ。

 数時間前に逃した白ご飯を二杯食べた。

 



 昼ご飯は、ひつまぶし。

 食通ヤング君推薦だから、はずれは無いだろう。

 
 
 どことなく昭和な匂いのするガスビルの地下。

 

 
 店構えも看板の文字もなかなか良い。

 『しら河』
 http://www.hitsumabushi.jp

 

 上を頼む。

 ぎこちない食べ方だったろうが、今まで食べた事のない食感と味わい。

 不味い訳ない。

 大満足。

 


 これは名古屋グルメのまだまだ、ほんの一端なんだろうなぁ。

 次回訪問の楽しみが増えた。

 土産は、ド定番に十何年振りに『ういろう』!


 
 「ごちそうさまでした!」
 

 

 

| 旅・街・エトセトラ | 21:11 | comments(6) | - | pookmark |
尾張名古屋奮闘記(グルメ観光編・パート1)
JUGEMテーマ:グルメ



 バンドでの名古屋遠征の模様は、事細かく書いたが、再び名古屋での演奏以外を備忘録として、個人的に記録しておこう。


 思えば関西を飛び出して、演奏するという思考回路がこれまではほとんど働かなかったのが本音である。

 悪く言えば、井の中の蛙状態が長く続いてきた。

 良く言えば、気心が知れた仲間と見知りのお客さんの前で、好き放題出来るのは、余計な緊張感も無く、楽だった。


 そんな停滞した思考回路が動く事に役立ったものは、ズバリ、ネットのチカラである。

 このブログはもとより、ソーシャルなんたらという世界に足を突っ込んでみたら、アレッという間に他府県の人やこれまですれ違っていた人、永らく音信不通になっていた人と繋がりが出来たのだ。


 大阪以外に、京都や神戸、果ては東京、本場シカゴとも繋がる。そして今回の名古屋も先に書いた様にそのひとつである。

 もっと以前、そう路上演奏に励んでいた時期にこんな媒体が普及していればと、悔やむ事もある。



 「遠征」などとたいそうな書き様だが、ボクの場合は、違う土地に触れる機会が得られる一石二鳥のチャンスなのだ。


 昨年の東京の際も、念願の靖国神社や皇居周辺を歩けた。


 名古屋のライヴが決まった時、すぐに家族で一泊する事になった。

 片道3時間あれば行ける距離だから、とんぼ返りも可能な訳だが、それでは家族に申し訳が立たない。



 文化、言葉、景色、味覚、街には明らかに違うところが見つけられる。

 そんな異なる感覚を味わった後に、見る生まれ育った大阪の街はまたいつもとは違って映る気もする。



 そんな名古屋での目当てをひとつに絞ることにした。

 味覚への再チャレンジ!


 実は、名古屋東海地区の味に関して、若い頃のトラウマが根強く残ったままだったのだ。

 若い頃とは、学生時代と15年以上前のライブでの出来事である。


 
 関西圏の食文化とは、大きく異なることぐらいは知っていたが、最初の名古屋の味との出逢いは、学生時代である。

 学生とは、何を隠そうボクは、大学生だった時期がある。

 結局は途中でドロップアウトしてしまう事になるが、バブル華やかな頃のお話だ。

 某京都の仏教系の大学に論文だけで合格してしまうという甘っちょろい大学生活が始まった。

 隠れてブルースらしきものは聴いていたが、ドラムなぞまさかのちにやる事になるなんて思ってもいなかった。

 初めて出来た友人の誘いで、いわゆるディスコへ通い、デパートのバーゲンの行列に並んで、DCブランドの洋服をなけなしのバイト代で買っていた・・・。


 そんな友人の一人に、岐阜から来たボンボンが居た。

 彼のワンルームマンションは、恰好の溜まり場となった。

 賭けトランプや賭け麻雀、通学そっちのけである。


 そんなある夜、小腹が空いたと彼に告げると、何やら鍋でグツグツとやりだしたわけだ。

 味噌の匂い・・・。


 味噌ラーメンか?と思いきや、鉢の中に赤黒く染まったうどんが泳いでいる。

 「味噌煮込みうどん、旨いよ」

 ひとすすり・・・。「うわっ!なんやこれっ!」

 名古屋の方、すいません。

 この時の不味さのトラウマをずっと19歳から43歳まで引きずって生きて来ました。


 その間に再チャレンジの機会が巡って来たのが、当時組んでいたバンドでの名古屋ライヴ。

 アイパー大西も一緒です。

 路上演奏で知り合った女性が名古屋に帰郷した為にブッキングが実現したものだった。


 「味噌カツの美味しいお店を案内しますよ。」と誘導される。

 メンバーは、全員味噌カツを注文したが、ボクは頑として拒否し、ハヤシライスを指差した。

 旨いと頬張るメンバーを尻目にボクはハヤシライスを口に運んだ・・・。


 「うわっ!」まただ・・・。

 ハヤシライスにも甘い味噌が紛れ込んでいた。


 結局、関西には味付けに赤味噌(八丁味噌)を頻繁に使うという習慣がほとんど無い。

 この瞬間に元々が食わず嫌いなボクの味覚基準は決定づけられてしまう事になる。



 しかし、今回の名古屋遠征では、その克服と別の名古屋食文化を食すべく意を決して向かった。





 そういう訳で、名古屋グルメを記したい。

 結論を先に言えば、ボクのトラウマは見事に晴れたのだ。



 まず最初に名古屋についたのが、ちょうど昼時だったので、我が家と同乗の三木君と徒歩でそれらしきお店を探す。

 事前に、調べあげていない。


 栄の方角に向かって歩く。

 新栄の交差点に差し掛かったところで、スパゲティーの看板が目に入る。

 

 前述のドラマー氏から、「あんかけスパ」の推薦を受けていた事を思い出し、店の前のメニューを見る。

 「とにかく、入るか!」


 地下にあるお店のドアを開けると、ほぼ満席で、店員さんが忙しくホールを行き来していて、テーブル席で老若男女みんな大皿に盛られたスパゲティー(?)を黙々と食べているではないか・・・。

 


 メニューを見ても、何が何やら想像もつかないので、各人それぞれ写真を頼りに注文。


 ボクは、『よくばりセット』

 三木君の注文は何だったか?

 家人は、激辛メキシカンなんとかっての。

 息子は、お子様セット。


 で、目の前に運ばれて来たのが、これっ!

 よくばりセット?

 

 三木君は・・・。

 


 どひゃ!てんこ盛りだ。

 元大食漢のボクにも、手に負えない重量感。

 メニュー通り、欲張り過ぎたか?


 ボクも三木君も必死で完食。

 家人は、約半分でギブアップ。

 息子はお口に召さなかったのか、道中のおやつがたたったのか、カルピスだけ飲み干し、あとのスパゲティー、ケチャップライスなどほとんど残して、おまけの玩具に気を奪われた。


 噂に聞いていたが、まずは名古屋のサービス精神の一端を垣間見た。


 実はまだこの時点では、ボクの抱えるトラウマは消えていない。


 次の日記から、徐々にそれが剥がれていくのだ。


 

 
| 旅・街・エトセトラ | 20:48 | comments(2) | - | pookmark |
尾張名古屋奮闘記(ライブ編・パート3)
JUGEMテーマ:音楽



 案の定、ひとつの日記に、収まりきらない。


 京都のハーピスト、大野木一彦氏のブログ『Journal』の如く、簡潔かつ的確な言葉で一日を振り返る文章能力を身につけたいものだ・・・。


 
 シャツを濡らせて大汗をかいた、とも氏と笑顔で攻守交替。


 アイパーもステージ衣装らしいワイシャツに着替えていた。

 リハーサルで、急遽思い浮かんだアレンジで一曲目を始めるが、気合いが空回り。
 おいおい、いささかギクシャク・・・。


 自分のバンドの出来不出来を語ろうとすると、良いところなどは、ほとんど思い浮かばない。

 駄目だったところばかり覚えているものだ。


 20年以上やってきても、「今日は良かったな!」なんて感想を抱いた事は皆無だ。

 しかし、「気持ちよく出来たね?」という感覚は、時々ある。


 「気持ちよく」演奏する事で、観ているお客さんを気持ちよくさせる。

 それが出来れば最高だ。


 果たして、この夜それが出来たのかは、分からない。

 
 ボク自身は、2曲目辺りから、すでに気持ちよく叩いていた。

 無意識。


 幸い席に残ってくれたお客さん方が、温かく拍手をくれるので、勘違いして調子づいたのかもしれない。


 (ちなみに肝心の我が息子は、とも氏の演奏の際は、かぶりつきで観ていたが、お父ちゃんの「トコトコ」が始まる頃には、家人の腕の中で眠りに落ちていた・・・。)


 その為、持参のカメラを家人に預けていたが、胸に13キロの脱力した息子を抱えていては、到底我がバンドの演奏風景や動画などは残せるはずもない。

 
 唯一のカット。

 


 とにもかくにも、アイパー大西&The Seeds Of Reedでの名古屋遠征は、終わりました。

 次回は、同じく東海地区の三重県松阪市のライブハウス・M'AXA(マクサ)のイベントに呼ばれています。

 4月15日日曜日です。

 持ち時間25分という我がバンドにとっては、過酷な条件です。




 最後に、

 段取りから助けてくれた池田ヤング君、そしてメンバーの本杉祐二君、山田美穂さんに感謝!

 東京から駆けつけてくれた、山田とも氏にも同様の言葉しかありません。

 

 そして穏やかに見守ってくれたスローブルースのマスター、スタッフの方、最後まで耳を傾けてくれた名古屋のお客樣方にも勿論真っ先に感謝しなければならない。

 労いの言葉も頂き、恐縮です。


 必ずやまたの機会が訪れる事を心から願って長々書いた筆をそろそろ置こう・・・。



 (って、ライブ以外に尾ひれのついた個人的な名古屋滞在記も記録として書くつもり。)


 


 

| アイパー大西&The Seeds Of Reed | 22:23 | comments(8) | - | pookmark |
尾張名古屋奮闘記(ライブ編・パート2)
JUGEMテーマ:音楽



 いろいろと理由を並べても、ボクらの様な音楽のちょっと隅っこに居る立場であっても、一人でも多くのお客さんに観て頂く、聴いて頂く機会に恵まれる事は、やはり素直に有り難い。


 しかも、今回は、九分九厘の確率で、知った顔が目の前に居ないのである。

 
 アイパー大西&The Seeds Of Reedが目当ての人が、どれだけ居るのか?


 このブッキングを池田ヤングに頼んだのは、随分前だ。年をまたいだかもしれない。

 その時に、彼にとっても大切なステージである事を告げられていたのだ。

 彼がこだわるヴィンテージ・シカゴ・ブルース・スタイルを具現しようと結成したという『The Soy Beans』が、事情があって、この夜が最後の演奏になるという。

 バンド結成までの道のりには、必ず出逢いがあり、そして進む目的が一致し、それを表現する場所が見つからないと完結しない。

 それは意外に難しい事は、ボクも知っている。

 付け焼き刃の乗りで集まった場合、決して長続きはしない。

 息の長いグループは、この法則に従っている。


 しかし、それを阻む二次的な問題が発生した時は苦渋の選択を選ばざるを得ない。

 彼の場合もその経緯については詳しく知るところではないが、きっとそうなんだろう。


 だからこの集客は、彼らの意気込みが反映された結果だ。

 


 

 山田とも&The Soy Beansの演奏が始まる。


 MCの通り、徹底してリトル・ウォルターの曲を連発する、山田とも氏。

 それも、「リトル・ウォルターならこれか。」という定番から少し外れた選曲にボクもアイパーもニヤリとする。

 アンプリファイド・ハーモニカをブルースの世界に浸透させたウォルターの曲は、どの曲を選択しても完成度が高いことは特筆すべきことだ。


 とも氏のバックを黙々と務める池田ヤング、ギタリストの本杉祐二君(若い!)、ドラマーは紅一点の山田美穂さん。

 ヤングは、ベースとギターを交互に持ち替えて、ウォルターのチェス・サウンドを蘇らせるべく陣頭指揮を執っている。

 



 ブルースは、ブギでも、スローでも踊らせる音楽だとボクは確信している。

 我慢しきれず、何度も前に出ては、踊ろうとしてしまう・・・。あぁもう少し若い頃ならば、きっと座っている初対面のお客さんも巻き込んで踊っていただろう。


 我が一行は、後方席からヤンヤと野次を飛ばして、ステップを踏んだ。

 とも氏も、生ハープで客席に乱入。(マッドハープ加藤氏を偲ばせる。笑)

 


 温まった場の雰囲気に、もうアウェイの緊張感はどこかへすっ飛んだ。

 「今すぐにでもやらせろ!」そんな気分がフライングしていた。


 よし出番だ!

 

 
| アイパー大西&The Seeds Of Reed | 20:37 | comments(2) | - | pookmark |
尾張名古屋奮闘記(ライブ編・パート1)
JUGEMテーマ:音楽



 行って参りました!


 名古屋!



 主たる目的は、アイパー大西&The Seeds Of Reedとして名古屋での初ライブでした。

 個人的には、こういう機会は、家族サービスも附属するのが常です。


 季節は何処へ行ったのかと疑う冷たい雨が降った前夜の金曜日は、シカゴロック制作のCD発売記念ジャムセッションに終わりがけに参加。
 3曲ほど叩いて、名古屋までの道中を同乗するベースの三木君を拾って深夜に帰宅。


 朝7時過ぎに揃って起床。(家人だけは、やり残しの仕事を夜通しやっていたらしく、貫徹。)

 前回の東京遠征の際は、名古屋を越えてから果てしなく続く静岡の広さを体感したので、その分名古屋までの距離感が短く感じる。


 

 昼には、名古屋到着。

 このあと4人で飛び込みの店で腹ごしらえをするのだが、それらの話題は後に語る。



 三木君と別れ、今池のホテルに無事チェックイン。

 (ここのホテルをわざわざ紹介して下さったのは、シカゴロックのジャムの常連さんで名古屋の某ドラマーさん。有り難うございました!)

 ライブハウスまでの立地と大浴場があるというのが、決め手でしたが、リハーサルの入り時間もあり、荷物を下ろしただけで、すぐに飛び出る。


 
 今回お世話になるのは、星ヶ丘にあるブルースバー、

 スローブルース。


 その屋号は、ずっと以前から耳にしていたものの、名古屋方面のブルース関係者とは、ほとんど交流の無い我がメンバー。(いや関西でも狭いか・・・?)

 きっかけとブッキングを引き受けてくれたのは、同店でのジャムセッションでホストバンドも務めている、池田ヤング君。

 彼との縁が、唯一の頼みの綱だった。

 あの阪神大震災が起こる前、関西の学生だった彼が在籍するバンドと幾度か交流していたのだ。


 10数年の音信不通な歳月がその後流れて、数年振りにまたばったりと繋がる事になった。その繋ぎ役は、人ではなく、インターネットの上である。

 この媒体の普及には実益が確かにある。


 彼のバンドとの対バン形式をお願いした。

 東京からハーピストの山田とも氏を招く事も重ねて頼んでいた。

 とも氏とも先にネット越しに交流があり、昨年秋の東京中野ブライトブラウンへの遠征時にも初対面とは思えない気さくさでご挨拶をした。

 熱烈なるリトル・ウォルター狂を自認していて、池田ヤング率いる『The Soy Beans』をバックに全曲ウォルターカヴァーで挑むそうだ。



 さて、初めて行く星ヶ丘は少し郊外にあった。

 ホテルから幹線道路を走り、事前にあり得ないくらい激安のコインパーキング情報を収集していたので、入庫。

 何時から「30分10円」という看板の文字に仰天!

 京都から同じく車で合流したギターの江上君にもその情報を告げてあげると、慌てて入れ直しに走っていったほどだ。


 開店の午後5時にマスターが鍵を開けに来られた。

 お店の看板からして、ブルースへの愛情が溢れていることにホッとする。

 

 ご挨拶をして、池田ヤング一行はまだ到着前だったが、5人揃ったので、リハーサルを始める。


 演奏のし易さについては、来店経験のあるベースの三木君やギターの久米君から聞かされていた。

 確かに、シカゴロックの部室環境に慣れたボクらには快適そのもの。

 壁にディスプレーされたブルースの名盤レコードからも見えない力を贈られている気もする。

 ジュニア・ウェルズ、マディー、ステージの真ん中ドラムセットの背後には、ライトニン・ホプキンスのモジョ・ハンドのあの真っ赤なジャケット。

 

 

 リハーサルの途中、山田とも、池田ヤング御一行4人が合流。

 挨拶を交わす。

 「メシ、行かん?」と池田ヤングに名古屋弁で誘われるが、昼食べた重量(詳しくは後ほど)が胃にしっかり残っていたので、店に居残る事にした。


 開始8時、時間がある。

 当然、飲む若い久米三木両君。

 車組のアラフォー3人は、大人しく雑談。

 同伴の二歳の息子が場の盛り上げ役を買って出た・・・。



 集客に関しては、申し訳ないかな池田ヤング任せになっている。


 開演前、徐々に集まり始めるお客さん。

 池田ヤング一行も同時に帰って来た。

 知らない間に、薄暗い店内はほぼ満席になっていた・・・。


 「さぁ、始まるぞ!」


 

 


 

| ライブ始末記 | 20:12 | comments(2) | - | pookmark |
尾張名古屋へ行って参ります!
JUGEMテーマ:音楽



 


 何度も告知しました、
 
 アイパー大西&The Seeds Of Reed

 『名古屋遠征ライブ』が、今週末24日土曜日となりました!

 関西圏の一部に限られたライヴ活動を続けている我々ですから、知名度なんていうものは、ほぼ皆無でありましょう。

 ですから、遠征などと銘打って自らを鼓舞しているという具合で、内心不安で一杯であります。


 今回のブッキングを進めてもらったのは、10数年前20代の頃に付き合いのあった名古屋在住の池田ヤング氏の力添えがあったからこそ。

 おまけに、対バンに彼率いるバンドに、東京のハーピスト・山田とも氏を呼んでもらう要望も我が儘言わせてもらいました。

 池田君有り難う。

 
 さて、掲載のフライヤーには、東西ブルースハープ対決を銘打っています。

 ちなみに厳密に言えば、アイパー大西自身は、隣県の三重県伊勢市在住です。


 ボクは、実に10数年振りの名古屋での演奏機会となります。

 その時のライヴハウスも、名古屋の方に訊ねたらもうすでに閉店になってしまっているだろうとのこと。



 『live&Bar Slow Blues』

 今回お世話になる、名古屋星ヶ丘のブルースクラブ。

 名古屋市名東区名東本通3-3 サンシャイン西山口ビル 5F

 http://www.slowblues.com/


 
 


 

 『山田とも&The Soybeans』

 山田とも(ハーモニカ、ヴォーカル)
 
 池田ヤング(ギター、ベース)
 本杉祐二(ギター)
 山田美穂(ドラムス)




 

『アイパー大西&The Seeds Of Reed』


 
 アイパー大西(ハーモニカ、ヴォーカル)
 江上マサノブ(ギター、コーラス)
 久米はるき(ギター、コーラス)
 三木あきら(ベース、コーラス)
 TAKAGIMAN(ドラムス、コーラス)



 


    
 名古屋グルメ、観光も秘かな楽しみでもあります。

 名古屋方面の皆様、何卒宜しくお願い致します。
| アイパー大西&The Seeds Of Reed | 21:38 | comments(2) | - | pookmark |
春なのに。
JUGEMテーマ:日記・一般



 家人が、多忙。

 今日も休日返上で出勤の途に就く。


 よって、ボクがまた慣れない育児を一日任される事になったが、当然一人で手に負えるとは、はなから考えていなかった。

 目と鼻の先に居る実母を最初から当てにしていた。


 母親とは、いつまでたっても結局頼りになる。


 朝、そっと音も無く玄関を出た家人に、暫くして気が付いた息子のべそは、何をやっても収まる気配はない。

 なんとかかんとか、冷蔵庫の野菜ジュースで気を引いて、事なきを得たが、こちらが今にも癇癪を起こして育児放棄寸前のところだった。


 気温は低いが、幸いにも陽当たりが良く、三輪車とおやつを積んで、母親の力を借りに実家へ直行。

 さっきの泣きべそは、すっかり何処かへ飛んでいった様だ。


 

 早い昼寝の後、うどんをすすり、公園へ出掛ける。

 毎年もうこの時期になると、桃は満開で桜のつぼみもそろそろ膨らむはずが、やはりこの冬の低温続きのせいだろう開花が遅い。

 「暑さ寒さも彼岸まで」の文句ももう少し先延ばしか・・・。


 それでも昼下がりの公園内は、たくさんの子供達の歓声に溢れ返っていた。

 春の歓びを一身に浴びて、走り回る子供達の生命力は、ひと際眩しい。


 息子も、思い切って苦手だった滑り台を克服し、自慢げに何度も往復しては、満面の笑みを見せてくれる。

 一年前はまだヨチヨチ歩きだった事を思えば、めざましい進歩だ。


 途中で、運悪く少し上のお兄ちゃんに順番を抜かされて、ボロボロ涙を流して泣いたのもまぁご愛嬌。



 傍らの桃の花は、つぼみが膨らんで、濃い桃色の花びらが半開き程度。

 


 陽当たりの条件の良い場所の樹が唯一、花を咲かせていた。

 



 あの有名国立大学が、秋の入学制に移行するとかしないとか?

 欧米の基準に合わせるのだろうが、国柄を考えれば、やはり春は卒業と入学の季節として大事に残しておいて欲しいと個人的な感想を抱く。


 春は、そんな季節にふさわしい。


 さぁ、いよいよ動き出そう!

 
| TAKAGIMANの四方山な話 | 23:10 | comments(0) | - | pookmark |

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