ニュースにちらっと目をやると、「大阪の府知事・市長のダブル選挙・大阪都構想」の話題が、全国ネットでもトップ級の扱いで報じられている。
橋下現知事が、就任時から公約として掲げている彼の政治的な旗印である。
聞けば、大阪市の予算や権限の方が府を上回るという現状の様である。
ともあれどちらも長年の縄張り意識が根強く、府民・市民にとってもその結果の是非についてもうひとつピンとこない。
熱血漢の橋下知事に期待する声も多いが、抵抗の運動もこれから激化するだろう。
対立している間にも府の債務は膨れ上がり続ける訳で、まずは無駄の徹底的な排除、二重行政の統合など目に見える早期実施を断行した上、一方では手厚く府民へのサービスの向上と拡充で我が街大阪の建て直しを図ってもらいたい。
選挙でどっちが勝った負けたで全てが好転する様なことは、幻想である事は国政における現状で一目瞭然である。
前の日記で、「この手の愚痴は言わない」と宣言した矢先に少々ぼやいてしまいましたね・・・。
さて、本題。
年末の仕事の段取りが早くも始まり、納期やらの日付が12月や1月とかになると気の焦りが始まる。
こうしてまた1年が過ぎ行く。
ライヴやジャムセッションの予定も同様に日付が年をまたぎ始めた。
久米君らと近頃バンドの話をする時、「向こう何ヶ月か先のブッキングまで決まってる方が良いっすね〜」と話している。
特にアイパー大西とのバンドは、限られた日程の中でのやりくりを余儀なくされるので、あらかた先の予定が埋まっていた方が気構えやお客さんへの告知には都合が良い事は確かだ。
ところが如何せん、顔が利かない。
ブッキングと言っても、大阪のライヴハウスは新参者には、ノルマの壁が重くのしかかるのだ。
他のミュージシャン達は、その壁を越える実績を不断の努力で確立しているのだろう。
この点が、ボクたちの決定的な弱点である。
要はプロモーション活動の欠如だ。
黙っていてお客さんが、押し寄せてくれる甘い考えは捨てなければ、肝心の場所探しで演奏どころでは無くなる。
来年以降の課題ですね・・・これ。
どなたか、対バンなどのブッキング依頼がありましたら、是非お声掛け下さい。
(あ、また人頼みだ・・・)
先日、サムズレコードへ立ち寄った話はした。
目的は、ライヴの依頼であった。
サムズが併設する「レッドハウス・スタジオ」では、オープンから毎月第一土曜日に「ブルースナイト」と称して、ブッキングライヴが行われていた。
そのブッキングに当初携わっていたのは、ボクの同級生でサムズレコードの買い付け役・店員でもあったOだった。
関西を中心に活動しているブルースバンドは勿論、関東方面、時にはプロミュージシャンもブッキングされていた。
はじめはまだチケットを買って観客の一人だったボクは、その月イチのブルースナイトが楽しみで仕方なかったものだ。
生でブルースのお手本が体感出来る。
少し早めに到着して並びのサムズのブルースLP・CDコーナーでライヴ前に視聴しながら物色するのも気分を高めてくれた。
時が経って、いつからか自分がその少し高いステージの上で演奏することになった。
この僅かな段差が実に遠かった。
20代から30代の時期だろう、John The ConquerorからSpecial Agentsへと名前とメンバーはコロコロと変わったが、随分とお世話になり、腕を磨く場であった。
数年前までは、社長の息子さんが引き継いで一時は復活を遂げたが、現在は消滅してしまった。
音楽にも明白に需要と供給が見え隠れする。
ブルースの需要と供給のバランスは以前よりも不均衡なのだろうか?
シカゴロックでジャムセッションのホストを昨年からやらせてもらってその点でひとつ気づいたことがある。
参加者の年齢層は広く、キャリアもまちまちだが、ブルースを演奏する人、またこれからやりたい人は確実に多い。
これはブルースという音楽性の特徴ではないか?と推察してみた。
基本的なコード進行の単純さからくるのか、ある図式が成立する。
ブルースをどこかで聴く又は誰かから聴かされる〜ふと琴線に触れて好きになる〜聴き続ける〜実際に演奏したくなる〜各地で開かれているジャムセッションに参加してみる
特に顕著に現れるのが楽器で言えば、ハーモニカである。
ボクの周辺でもハーモニカ教室や講座を開いておられる諸氏が幾人かおられる。ブルースに特化したものではないだろうが、使用するのは10穴のブルースハープが主だ。
持ち運びには気軽だし、どこでも暇さえあれば短時間でもその楽器と格闘出来る強みがある。
だからボクのジャムセッションでもハーモニカ奏者は必ず何人かは参加されるのだ。
ブルースに演奏で関わろうとする人が年齢に関係なく多数いることだけは間違いが無い。
なのに、今年から恒例のブルース・カーニヴァルは幕を閉じたし、本場のブルースミュージシャンの来日公演は年に数えるほどだ。
いろんな人から、「ブルースはカネにならん」と聞く。
そう言われれば、身も蓋もないが、思い当たるふしはある。
前述した様に、レッドハウスのライヴは必ず足を運んだし、ブルースミュージシャンの来日には財布にカネが無くてもなんとか捻出して仲間が大挙して生で観戦したものだ。
バリバリやっている先輩諸氏や本場のブルースマンの演奏を盗み見しては発見したものだ。
需要と供給の均衡がとれていたのだろう。
本題と言っておきながら、随分ご託を並べてしまいましたね〜こりゃ・・・。
ちょっぴり溜まった鬱憤を吐き出してしまいました。
結局は大半の責任は、ボクの様な自称アマチュア・ブルースファンの鈍くなってしまった行動力に起因しているのでしょう。
ページが文字で埋まったので、本題は次のページにて。