やはり、なでしこジャパンの決勝戦は、観なくてはと、眠気防止策にパソコンの画面と睨めっこ中。
只今の書き始め時刻、午前1時50分。
あと2時間あるので、いつもよりゆっくりと指を動かすとしよう。
自己申告しますが、昨日17日は小生の
誕生日でありました・・・。
43年目の夏です。
産声を上げた、1968年の夏も果たしてこんなに暑い一日だったのでしょうか?
タカギ家の長男としてボクを取り上げてくれたのは、家の近所にある助産院でした。
当時は、きっと今の様な最新の設備等無く、まだお産は日常の一風景だったでしょう。
母親は直前まで、大きなお腹でお客さんのおばちゃん方の髪の毛をカットし、強烈な匂いのパーマ液の中でその瞬間が来るのをただ待つだけだったはずだ。
坂本竜馬が司馬遼太郎著『竜馬がゆく』の刊行で流行っていたという理由だけで、その一字を拝借し名付けられた。
余談だが、4つ下の弟も偶然にも同じ日の生まれである。
誕生日ケーキが1個で済むという実に経済的な兄弟だ。
もうこの歳になって、家族に誕生日のお祝いなどを強いる様なことはしなかった。
とか言いながら、それとなく事前にこのブログでほのめかしていたり、こっそりTwitterやMixiなどのツールで呟いたりと我ながら実にセコい予告をしていた。
お陰さまで、多数の「おめでとう」メッセージを受け取り、それだけで充分ご満悦の一日だった。
金曜日のシカゴロックのジャムでも、そのほのめかしを察したベースのF君からバースデーソングのMCがあって、照れくさいやらなんやら・・・。
彼から、プレゼントまで頂いた。
持っていなかったCD。ありがとう!
早速車でかけてますよ〜。
まぁでも今は自分の誕生日よりも1歳半の息子の一挙手一投足が興味深い日々だ。
笑わせてくれたと思ったら、ヒヤリとさせられるし、子供の成長は親の成長でもある。
春に新居に越して来ても、まだ土地勘がつかめない。
最寄りの駅は、実家にいる時と変わらないが、線路を挟んで全く反対側なのが原因だろう。
近くには神社が幾つかあるらしく、それぞれに夏祭りの旗が交差している。
17日の夏祭りで関西人が真っ先に連想するのは、勿論京都の祇園祭だろう。
あのコンチキチンの雅な祭りは実際に観た事がなくても、ニュース映像だけでも本格的な夏の到来を感じさせてくれる。
そんな朝、太鼓の音と子供の掛け声がベランダ越しに聞こえてきたので、見下ろす。
小さな子供の神輿だ。のんびり・・・。
人混みで溢れ返っているだろう祇園さんも盛大だろうが、ボクにはこれくらいが日曜の朝にはちょうど良い。
この連休期間はいよいよ部屋の整理をやらなければならない。
家人とともに頭にタオルを巻いて、一部若干ながら少しは片付いた。
合間に線路を挟んだ実家とを自転車往復。
吹き出す汗と、ジリジリ肌を焦がす眩しい夏の日射に一瞬目の焦点が揺れる感覚。
その道中、さっきの子供神輿とは違う神社の布団神輿と地元の地車と遭遇。
ん〜〜前者ハッピの文字と色合わせのセンスに少々苦笑い。
後者の地車は、「おいおい危ない」
商店のテント、スレスレに方向が曲がって間一髪セーフ。
そういえばボクが小さい頃は、本場の岸和田だんじりほどに威勢は良く無かったが、同じ様に狭い商店街を猛スピードで駆け抜けていた時期があって、よく屋根やテント、電柱にぶつかっていたなぁ。
夜は、布団神輿の神社が本宮だと聞いて、息子を甚平に着替えさせて出向く事にした。
土地勘が無いので、昼間の雰囲気ならのんびりしたもんかなと思っていたら間違いだった。
昼間の布団神輿が電飾で飾られて、神輿を担ぐのが全員若い女性。
神輿のてっぺんでその若い晒に法被姿の女の子が、なんと拡声器で声を張り上げているのだ。
何が起こったか分からず凍り付く息子・・・。
法被の背中には『女子部』と書いてある。
男子部は、当然イカツイ兄ちゃん達が布団神輿をなかなかに勢いよく上下させ神社前の路地で辻回し。
どうやら偶然にも祭りのハイライトと出くわしたようだった。
人混みを掻き分けて入った猫の額ほどの境内は、一転して屋台も数軒ほどで地域のお祭りの風情。
こうして汗だくの誕生日の一日は終わった。
やっぱり甘党の性、ケーキのひとつくらいねだっておけば良かったかな・・・?
と、長々一日を振り返ったところもうすぐ午前3時。
ここらあたりで更新アイコンをクリックしてテレビの前に一人座るとしますか・・・?