上のフライヤーをご覧下さいませ。
『YOSHI BLUES PROJECT』となっております。
ホントのちゃんとしたバンド名は、
『11th Street Blues Band』
「一体誰が名付けたんだろう?」
考える間もなく、シカゴロックのマスターの顔が浮かびました。
還暦を迎えても、童心の固まりの様な人です。
「ブルースやソウルは、レコード盤に限る!」
と頑なまでにCD以降のそれらを真っ向から毛嫌いしています。
それが例えアナログの名盤の再発物でも見向きもしないそうです。
音楽にもそういう拘りを持っている世代です。
今日の様に店頭に行かずともクリックひとつで自宅に欲しい物が配達される安易さは無く、そんな希少な黒人音源に出逢う為には、足しげくレコード店に通いつめ、情報を収集しつつ、最後は自分の耳が頼り、そんな時代だったんでしょう。
またそういう行為そのものが格好良かった時代だったのだろうと推測します。
カウンター越しにレコードを誇らしげに手入れしながら、うんちくを語るのもその為です。
その姿を時々(ホント時々)うらやましくも感じる。
なにせボクらがどんなに当時のブルースやソウルの事情の情報収集をしても、リアルタイムに生の現場を体感した人には到底叶いません。
そういう意味でいくと、その中間世代に位置するボクらの世代は何とも中途半端です。
レコードをいとも簡単に売っぱらって、それを元手にCDに切り替えていった口です。
かといって、もっと若い人の様に、携帯電話やデジタルプレイヤーに複数の曲をダウンロードする作業には、若干遅れをとって戸惑い二の足を踏んでいるのが実情です。
結局耳に入ってしまえばその過程に変わりはないのでしょうが、やはり何と言うのか音楽にも手触り、温もり、そんな感触、これを求めてしまいます。
形があれば、愛着とそれにまつわる思い入れが生まれるのだと迷信じみた感覚がどこか抜けません。
・・・てなシカゴロックのマスターには、もう何年もお世話になっている訳です。
集客力も無い(自慢してどうする)ボクたちに、演奏の場を二つ返事でOKしてくれているのです。
おまけにこんなフライヤーまで毎回事前にプリントしてくれていることに、素直に感謝しなければなりませんが、そういう事を要求しない、いや全くと言っていいほど無頓着な性格が、永遠の童心を持つ人たる由縁なのでしょうか?
まぁ余りの無頓着さにお店の経営の心配すらしてしまいます。
「マスター、ここが無くなったらボクらの行き場はなくなりますので、頼みますよ?」
フライヤー通り、ヨシとゴールデンウィークにライブです。
メンバーは、ギターとヴォーカルににヨシ水野、ベースとコーラス三木アキラ、そして小生のドラムスの3人編成。
バンドのサウンド的今後を睨めば、キーボードや管楽器が何としても欲しいところ。どうせなら、女性コーラス隊なんかも脇を固めてくれれば、華やかでしょうな〜と、リーダー・ヨシの思惑を越えて勝手に夢想しております。
今回は、サイドギタリストとして、池田真一君を迎えます。彼にも何曲かでヴォーカルもとってもらう予定。
ちなみにベースの三木君が、再び6月からシカゴへ3ヶ月渡航します。
彼の壮行会にもなりますかね?
(写真左から三木君、カルロス・ジョンソン、小生。カルロス来日時、三木君は2ステージ目飛び入りで4〜5曲演奏しましたね。)
是非ご来場下さいませ!
5月7日(土曜日)シカゴロック
19:00オープン 20:00スタート(2ステージ)
チャージ:1,500円(ドリンク別)
http://www18.ocn.ne.jp/~bluesbar/access/index.html
30年以上前に、日本にブルースブームと呼ばれる波が押し寄せたと、当時のミュージシャンやその現場を経験した先輩からブルースを始めたばかりの頃、よく話を聞かされました。
ボク個人は、そういった事情を知らぬままにこの世界に片足を踏み入れてしまったので、全く当時の雰囲気だったり、現在も活躍されているブルースミュージシャンの方々に明るくない。
現在ブルース愛好家は、もっぱら演奏者に偏ってしまった様に感じる今日この頃。
確かに経験値から言っても、聴く立場から実際に演奏する側に立った時の劇的変化は今でも残っているものです。
多い少ないに関係なく、お客さんを前にして演奏する時の緊張とその後にやってくる高揚感は、平素の日常では感じる事の出来ない感覚である。
その代わりに、ひとりのお客さんの立場に身を置いて、他の人の演奏を素直に楽しむ事が難しくなったという弊害も一方ある。
腕組みして聴いている自分は失礼な事をしているなぁと、後日ふと気づき反省する。
よく他府県の人からブルースの本場は大阪ですよね〜と言葉を投げかけられるが、実際にはどうだろう?
ライブハウスは、出来ては、また無くなるという繰り返しでもあるし、ブルースに特化したハコを探すのは至難の業である。
集客が、何よりも最優先。
それは至極当然の話。経営が優先しなければ、音楽も何もあったもんじゃない。
集客ノルマは、アマチュアミュージシャン達にとっては、率直に難しい問題でもある。
さっきのブルースブームの話に戻るが、ボクがブルースを始めた頃は、雑誌「ぴあ」のライブハウススケジュール欄を毎号チェックしたものだ。
そこには、某ブルースバンドとか、関西の主要なライブハウスの日程によく見かけた。
その中でも、真っ先に目を通すのは地元大阪のライブハウスではなく、京都の欄だった。
『拾 得』
「しゅうとく」?「じゅっとく」?と最初の頃は読んでしまい、「ちゃうちゃう、じっとく、やぁ」と何回も指摘された。
ライブハウスという呼称の発祥とも言われている、京都で現在最も古いハコである。
ここと並んで『磔々(たくたく)』は、ブルースを齧り始めたばかりの若造にとっては夢の舞台だった。
「拾 得」は、初めて行ったら、「え?こんなところ?」と思う周囲は住宅地のど真ん中に有る。
酒蔵を改造し、喫茶店としてスタートしたらしい。だから今も屋号には「Coffee House」の文字がしっかり残っている。
「Coffee House 拾 得」が正しい。
こういうハコが残る京都の街こそ、関西のブルースの老舗であり、現在もブルースが盛んで集客率の高さもピカイチだろう。
先日、京都在住のハーピスト、大野木氏より直接電話が鳴った。
「拾得、一緒にやらへん?」
同世代の大野木氏とここ数年、関わり合う事が多くなったのは嬉しいことだ。
お互いきっとその存在は見聞きして知っていた筈だが、出逢いの機会というものは、余程どちらか一方が社交的でない限り、本人以外に何か別の力が働かないと意外に実現しないものである。
数年前、旧知のハーピストでもあるハーピン・ジョー(Harpin' Jo)氏のバンドの手伝いを僅かな期間していた時に、京都のTen Holes Kitchenで初対面して、ジャムをして、ひと言ふた言かの会話をさせて頂いた。
その後ホームページにリンクをしてもらい、双方のブログにコメントを時々残したりといった具合で、いっぺんに一定のある関係が成立する。
演奏する人間同士だから、それも固定したバンド思考の強い者同士なので、面と向かっての会話よりも先行したいのは、バンドの共演である。
大野木氏から「拾得で対バンやろか?」と答えが返って来た時は、思わず心が弾んだ。
拾得でのライブからもずいぶんと遠ざかっていたから余計だ。
1回目は、Special Agents名義、2回目は、Agentsの解消しともない、アイパー大西&The Seeds of Reedとして。
そしてまた今回の電話である。
6月25日土曜日
アイパー大西&The Seeds Of Reed
『拾得』で再び大野木一彦ブルースバンドと共演です。
我がバンドは、ギターが前回のバッドボーイ明里さんから、若い久米はるき君にメンバーチェンジをしました。
また、ベースには藤川アキトを助っ人で入ってくれます。
ちなみに、小生企画のブルースイベント、
『BLUES BEFORE SUNRISE VOL.4』にも大野木一彦ブルースバンドの参加も早々に決定済みであります。
大野木一彦ブルースバンド・ウェブサイト
http://www.nogioh.com/
(大野木氏の日記 Journal は簡潔な文章でありながら、読み応え充分、ん〜なるほどとなりますよ)
拾得ホームページ
(こちらの画像で拾得の歴史を辿るページを閲覧すれば、1973年からの歴史が読み取れます。)
http://www2.odn.ne.jp/jittoku/index.htm