生まれて初めて手術台に寝かされる日が来た。
まな板の上の鯉の心境だが、なかなかそうもいかない。
何しろ全身麻酔と聞くだけで、あらぬ想像が膨らむ。
病室のご老人は、足の指の骨をフォークリフトとぶつかって砕けたとか、迎えの人は胆石を患い、手術が8時間に及び、麻酔の後遺症だかで昼も夜も関係なく尋常ならぬ咳き込み方だ。
麻酔科の医師には、なるべく術後の痛みを抑えて欲しいと弱気な要望をした。
前夜からの絶食でよく眠れなかった朝からは、注射嫌いなら卒倒しそうな長い針から数種類の点滴を腕に刺し込まれたままだ。
ようやく待ちに待った手術か!と思えれば良いが、小心者にはそうはいかぬ。
「たら、れば」ばかり思っては、打ち消すのに必死だ。
時間だ・・・
手術着に着替えさせられて、エレベーターを降りる。
寝たまま見上げる看護士さん達の顔は、いたって平然だ。骨折の手術なんてのは日常の当たり前の事なのだろう。
ところがこちらの心拍数は、測らなくても分かるくらいに早くなっている。
あらよっと言う間にストレッチャーに乗せ変えられて、心電図やらのいろんな器具が、テキパキと着けられていく。
ホントにまな板の上の鯉だ。
絵に描いた様なさっきの麻酔科の医師がまず現れ、腰に何度か注射を打ち、背中の辺りから何やら管状のモノをグイッと挿入している感覚をおぼえる。
「そうか、これが要求した術後の患部の痛みを軽減する麻酔なんだな?」
もうすでに下半身の感覚が無くなり始めている。
次は、いよいよ全身麻酔だ。
ドクドクと心拍数が上昇する機械音が耳に入って気になる。
酸素マスクを吸引させられる。
この為に悲しいかな10年来生やし続けていた口ひげとあごひげを綺麗に剃り落としたのだ。
いつ眠りに落ちるのだろうと心配になり、看護士さんに、
「すいません、あとどれくらいで麻酔かかりますか?」
とかなんとか言おうかなと思っていたら、
次の瞬間には、ストレッチャーで運ばれていて、ガチャガチャとその車輪の音が耳に入り、相変わらず腕やら色んなところに管が這っていて、家族の顔が視界に入って来た。
なんと・・・もう終わっていたのだ!
弱気なうわ言が無意識に口から何度か出ているが、自分では制御が出来ない。
ともかく執刀医も太鼓判を押すほど無事に終わったと聞かされたことは何よりだったが、まる一晩ついには眠れなかった。
たった一人のその一夜の孤独感といったら・・・。深夜に何度か堪らず看護士さんを呼んで、体の向きを変えてもらったりしてやり過ごした。
翌朝ようやく少し体に張り付いたままの機器が外れたが、下半身麻酔は48時間効いたままだったし、点滴の管は刺さったまま、もちろん自力でトイレには行けない。
左足は、ガッチリとギプスで足の甲から太腿まで固められている。
でもこれで一山を越えた訳で、少しの安堵感も感じていた。
これからあとは日にち薬になるだろうが、ここからが回復へ向けての本番であった。
あと何回、この山から登る朝日を見る事になるのだろうと、夜が明けきらないうちに目が覚めては東の空を眺めて深い溜め息をつくのだった。
先輩患者達からは、「年末年始は病院で迎える覚悟をせなあかんで?」と、すれ違う度に慰めともつかない助言で脅される。
言葉通り諦めの境地にはなれず・・・悶々と相変わらず慣れないベッドの上で、ぼんやりイヤホンでとテレビを観て過ごす。(海老蔵、海老蔵でウンザリだった)
数日後に最初の術後経過の為、レントゲンを撮る。
太鼓判を押した夜診明けの執刀医は、レントゲン写真を見て開口一番、
「うまいこといってますね、問題ないですわ!」
「ちなみに退院っていつ頃になりますか?」
思わず、自信たっぷりのその言葉につられて聞き返してみた。実は入院してすぐに最短での退院を希望していたのだ。
「そうですね、この土日にでも退院出来ますよ」
「ほんまですか!」
あまりにあっさりしていて、思わず看護士さんと目を合わせて喜んだ。
結局、初めての入院生活は僅か15日にすぎなかった。
息子の誕生日にも間に合う!
クリスマスも一緒に祝える!
正月のお節も囲める!
仕事の指示も出し易くなる!
その後の不自由で難儀な生活は覚悟はしているが、我が家に戻れる喜びはひとしおのものであった。
先輩患者達が、もう退院?と、怪訝そうな顔をしたのが可笑しかった。
退院と言っても、長い自宅療養になる。
バリアフリーの病棟が過ごし易いのだろうが、精神的な回復の方が最優先と考えた。
実家で一日寝たまま、時々松葉杖で室内を移動という日々。
2、3日に一度、車椅子に乗り込んで近所を徘徊。
職場にも指示の為、何度か車椅子で事務作業をする必要もあった。
そうしてようやく年末に忌々しいギプスから開放され、現在も着用する装具に切り替わって幾分身軽な正月を迎える事が出来た。
年明けからは本格的にリハビリを開始。
そして今に至る。
現在は骨折箇所もほぼ新しい骨が出来つつあり、2分の1の加重がかけられるくらいに回復。
松葉杖は手放せないけれど、堅くなっている膝関節も90度以上は曲げ伸ばしが可能になり、2ヶ月ぶりに車の運転も支障が無くなった。
明日からは、本格的ではないにしろ職場にも復帰を果たす。
社会から離れた2ヶ月のブランクは、想像以上かもしれないが、焦らずじっくりと回復を目指します。
当ブログも12月は一度も更新が出来ませんでした。
ましてや、新年の挨拶も書けなかったことも不本意でした。
遅まきながら、本年もご愛顧頂ければ幸いです。
『健康第一』
「皇潤」とか「ヒアルロン酸」とか妙に耳馴染みになりました。