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雑記。ジャムはジャムでもリンゴジャム
JUGEMテーマ:日記・一般


 
 幸いにも大阪は、心配された台風の影響もほとんどなく、普段通りに半ドンで仕事を終えて、帰路家人の要望でマクドのドライブスルーでセットを手土産。

 たまにマクドのバーガーを無性に食べたくなる時ってあります。

 一匹怪獣化したチビがいるので、彼のポテトに伸びてくる手を払いのけながらむさぼり食う。

 
 
 夕方、約束通り例の件で、今度お世話になる工務店の営業の人が来訪。

 最終的な見積もりの説明と提示を受ける。

 この営業の人とはあっと驚いた奇遇がある。


 数年前まで、住まいにしていた賃貸マンションの同じフロアの住人だったこと、家人の兄と高校の同窓生だということ、そしてシカゴロックのすぐ近くに会社があって、いつも店の前を通っていること・・・。

 偶然にしては、なんだか怖いくらい。

 そのため、なんとなく気が許せるので、話に緊張感が湧かないが、やはり総額の桁数を考えると大きい買い物だ。


 
 台風接近中なはずの東京のブルース仲間からメッセージが入る。

 来年の1月8日、シカゴロックでブッキング依頼。


 もう年明けの話が舞い込む季節なんだ・・・。

 新春らしく賑やかな企画を返答する。実現の運びになりそう。



 工務店の人が玄関を出たあとは、家人は台所に張り付く。

 せっせと冷蔵庫に貯蔵したままだったリンゴの皮むきに精を出している。

 手伝いたい気持ちも無い事は無いが、邪魔になるのは分かっているので(大体中学時代のある事故が原因で刃物恐怖症なのでリンゴの皮むきが出来ないのです)、怪獣と遊ぶ。


 今夜もこの時刻、シカゴロックでは、深夜のジャムが延々と続いているはずだが、ジャムはジャムでも我が家では剥かれたリンゴが圧力釜の中で、甘酸っぱいジャムに化けている。


 タバコを吸いに換気扇の下に立ってみたら、おすそ分け用も含め大小瓶詰めされたリンゴジャムが狭い台所を占拠してあった。
 
 来週からは、毎朝これを4つ切りトーストにたっぷりと塗って出勤となるだろう。

 

 ところで、120円もの値上がりにこだわって長年愛煙してきたマルボロの赤ソフトパックを泣く泣く銘柄を先週から変えている。
 マルボロよりも40円ばかり安い、ウィンストンの赤にした。ソフトパックにも強い愛着があったが、これからはボックス仕様を渋々ながら受け入れる。フィルター部分の白いところも若干納得がいかない。

 


 怪獣を風呂に入れる前、自分の唯一の身だしなみの剃髪。少しは伸びるんです。

 
 風呂上がりの怪獣と、ケーブルテレビで放映中の『未来少年コナン』を観る。

 ひとり盛り上がるボク。怪獣君にはまだコナンは分からないらしい。

 話は佳境。ハイハーバーとモンスリー一団が交戦中、地殻変動による大津波がハイハーバーの住民達を襲う。

 コナン、ジムシー、ラナ、ダイス船長、そしてモンスリーが飛行艇で、インダストリアを目指す場面でつづく・・・。
 何回見ても心躍る宮崎アニメの原点。
 「世の男達よ、コナンの男前ぶりを見習おう!」

 そっぽを向いている怪獣の気を引こうと、オープニングテーマとエンディングソングを大声で歌うが、通用しなかった。

 


 

 仕方なく、まだ遊ぶ気満々の怪獣君にお気に入りの虎模様のおしゃぶり(もちろんタイガースにあやかっている)をくわえさせて、強制的に寝かせることにした。

 


 明日は、半期に一度の神戸の馴染みのお店へ訪問予定。

 またいつも通り長いお喋りになりそうだ。


 
 
| TAKAGIMANの胃袋 | 00:09 | comments(0) | - | pookmark |
ナンバと梅田のアルバム。ひとまず総括
JUGEMテーマ:音楽


 ここまで、根気よく読んで頂いた方々、ありがとうございます。


 「いったい、なんのこっちゃねん?」

 そんな声が聞こえて来そうではありますが、『ロジョウ』の話は尽きません。

 それくらいに10数年の思い入れが詰まっているんだなぁと、あらためてアルバムに残る写真を選びながら(中には、掲載したくても障害のあるものも多数)、一人感慨に浸っています。

 
 この思いをもしかしたら、あの時、あの場所で偶然に通りかかり、立ち止まり、耳を傾けてくれた人が読んでくれたとすれば、それはそれは感激です。居たらいいな。


 そんな期待を抱きつつ、そろそろ総括をしたいと思います。


 『ロジョウ』は次第に公権力とのいたちごっこになってしまいます。

 始めた頃は、場所取りなど無用だったのが、次々に同じ様なバンドも続々出現するのでした。


 それもこちらのオンボロ機材とは違い、路上ライブハウスでもやるのか?というくらいに豪勢な仕立ての人達も居ましたし、こちらもたじろぐ程の爆音を鳴り響かせる人達も居ます。
 グルーピーやスタッフを引き連れた人達にはジェラシーを感じました。


 場所取り合戦と公権力との2つの闘いを強いられていくのです。

 これには正直頭を痛めます。

 何度も、撤退を余儀なくされることも増えてきます。

 
 まだ若かったせいもあり、衝突する事もしばしば・・・。

 仲間の何人もの指紋が南署の交番で採取されたことか・・・。ちなみにボクも相当多いと思います。悪い事すればすぐ足がつくかもしれません。


 そんな障害があればあるほどムキになるのが、若者の特権でもあり、ガソリンスタンドに寄っては発電機に数リットルのガソリンを注入する夜は継続していきました。

 

 何枚かめぼしい写真があったので、掲載します。

 99年頃の演奏風景の写真が多い事に気づきました。


 家人が(この時は違いましたが)、この頃毎日の様に取り囲む輪の中に居た事が昨日のことの様です。

 
 やはり枚数が多いのはゲットーパンチでした。

 ナンバと梅田を股にかけていましたから。

 画像はタカ・サイトウです。

 タカは、いつの間にか東京から大阪に住み着いてしまいました。『ロジョウ』がきっかけだったかは、本人に確認が必要ですが、きっとそうでしょう。
 

 そしてタカは『ゲットーパンチ』の一員となります。

 画像は5人になったナンバでのゲットーパンチ。

 

 サブタレニアンズで、女の子のお客さんに囲まれて演奏するゲットーパンチ。
 
 
 

 演奏終了時間の設定など無いに等しく、終電が無くなっても、観ている人が要求する限り演奏はやめません。それが平日だろうと、次の仕事の都合など誰も口にしないのが掟です。

 終演後に残ったお客さんとの交流、座談会も恒例でした。

 

 99年の秋の日付の集合記念写真。

 この夜はゲットーパンチの順番だったはずが、関係の無い小生やチヒロ君も中心に写ってます。ただ家に居ても気になって仕方ないので、偵察がてら遊びに来たのでしょう。

 
 

 がむしゃらに突き進んだロジョウにも、様々な事情が絡み合って、中断と再開を繰り返していく。

 最後までこだわり続けたのは、チヒロクインテットの面々でしたが、それも徐々に勢いを片っ端から打ち消されてしまうのでした。

 ボク自身も長い中断を経て、新たに若いメンバーを加えて、『ロジョウ』に再チャレンジを始めたのは、2005年頃からでしょうか?

 20代だったボクも40に手が届く年月が流れています。


 当初の物珍しさは、すでにありません。

 通行人は、「またか・・・」という目で通り過ぎていく。


 そんな、ナンバと梅田のロジョウ
 が、残してくれたモノは何だったのか?

 自問自答してみます。


 あれだけの人が円を描いて、耳を傾けてくれた理由を探しています。

 見ず知らずの人からの「がんばれや」の言葉、差し入れの瓶ビール、心付け、今も残してある感想用紙に残る暖かい激励の文字・・・。

 
 その有り難みを当事者が一番軽視してしまったのではないか?

 そんな悔恨の気持ちが、何枚もの写真から湧いています。


 現状、あの頃の様にロジョウへくり出す事には障害が多すぎます。


 最後に少し名残を感じ取れる映像が残っています。
 
 これも、仲間による撮影ではなく、たまたま通りかかったシカゴから来た観光客の手によって、YouTubeで配信されていたものです。

 2006年6月、岡部キングとボク、サイドギターとベースにまだ高校生の様な久米君と三木君が登場しています。

 閲覧件数が25,000回を越えているというのが、不思議な現象です。

 コメントも多数有り、国籍も様々。はっきり言って戸惑います。

 「こんなネットの力がロジョウの当初からあったなら・・・」とも思いますが、無かったからこそ味わえた感触や感情があったと思いたいです。
 



 本日4本目を書き終え、締めの言葉を考えましたが、見つかりません。

 まだ心の大部分に『ロジョウ』は終わっていないと思いたいのです。

 上の25,000という数字を遥かに越える人達が目の前をきっと通り過ぎた事でしょう。


 ふと、どこかで、

 「そう言えば、あの若者達はまだブルースやってんねやろか?」

 そう思ってもらったら、なんて幸せなんでしょう!


 としたら、

 遠くから叫びましょう!


 「おおきに〜まだしつこ〜〜く、ブルースやってまっせ〜〜〜」
| ブルース・エトセトラ | 23:55 | comments(10) | - | pookmark |
ナンバと梅田のアルバム。その3
JUGEMテーマ:音楽


 『ロジョウ』の話を今一度回想することになったのには、もうひとつ伏線がある。


 先日、伊勢にいるアイパー大西と久し振りに電話で長話をした。

 現在Special Agentsを解消し、再び彼と新たに『アイパー大西&The Seeds Of Reed』というバンドを編成したところである。

 来年の3月20日に地元松阪のライブハウス『M'AXA マクサ』でライブをブッキングをしたというので、その話題であった。

 話は、すぐに集客という難題に突き当たる。

 アイパー自身、20歳で大阪移住後にハーモニカを始めた(初期マッドハープ加藤教室卒業生)口だから、故郷の伊勢に帰ったあとも大阪が今も主な活動の場である。

 そんな彼が、初めてと言っていいだろう自ら今回行動を起こした。


 それで集客に苦慮していると言う。

 地元であるが、地元での演奏活動がほぼ皆無の彼の苦悩は重々分かる。


 小生も根がバンドを運営する側の性格なので、これでも集客の壁を何度も味わって来た。

 某チヒロ君の様に、「お客さん少ない方が、ええねん〜」と嘘でも言える性格になりたいものである。


 このアイパーとのやりとりの中でも何度も飛び出したのが、『ロジョウ』という単語であった。

 『ロジョウ』の効果は想像以上の出来事を発生させた。


 当時、今で言えばシカゴロックの様な場所に位置していたのが、松屋町にあった、
 『サブタレニアンズ』
 という小さなバーである。

 特別にブルースを謳っているという訳でもなく、本当にカウンターと少しの演奏スペースが用意された、30人も立って入れないくらいの街はずれのバーであった。

 ここで月に一回第二土曜日を『Blues Before Sunrise』と称して、小生企画の元でこじんまりとライブを持ち回りで演奏していた。

 それがどういう訳だか、見知らぬお客さん、それもブルースとは全く縁遠い人達が月を追う事に増えていく。


 要は、『ロジョウ』の効果が現れ始めたのである。

 確かに、カンパ箱横には、必ずフライヤーを置いてあった。

 

 画像はサブタレニアンズでのSpecial Agentsでのライブ。

 

 こんな狭いバーに大挙押し寄せたこともあり、泣く泣くお引き取り願ったという今では考えられない現象にやってる方がパニックになった。


 話が逸れそうなので、今一度『ロジョウ』の記憶と記録を繋ぎ合わそう。

 
 派閥に別れたロジョウ組にも多々エピソードがある。

 それぞれに贔屓のお客さんが出来て、通行人と演奏者の若者という関係を越えて意気投合し、支援してくれる人も何人か出来た。

 今なら、ツイッターなんかで、「何時何分にここでロジョウやりま〜す」なんて方法もあっただろうが、つい10年もさかのぼれば、実にアナログだった。


 ナンバ及び梅田を主戦場にしていた大阪組は、バンド相互で曜日の持ち回りを決め始める。

 ボクの記憶ではこうだ。

 ナンバは、月・水・金をチヒロクインテット。火・木・土をゲットーパンチ。日曜日はスペシャル・エイジェンツといった具合だ。ここには、楽器が被っているメンバーもあり、京都組も混在している。


 

 上の画像はチヒロクインテット。99年9月の日付がある。
 ドラムをなぜか小生が叩いているが、本来はアンクル西野達弥の定位置である。

 最終的には最も生き長くロジョウにこだわっていたメンバーである。現在は休業状態だが同名義でのライブが待たれる。

 
 
 
 機材面でもゲットーパンチの屋台骨を支え続けたBoogie Machine氷上。

 
 木枯らし1号で、思い出したのはこの写真だった。

 2000年2月と思われる真冬のなんばで演奏するスペシャル・エイジェンツ。
 立ち止まっているだけで、アスファルトが氷の様になる。記憶では、ビルの壁面の温度計が摂氏1℃くらいだった。もちろん立ち止まる人の陰は少ないことは言うまでもない。

 
 


 もうこの頃には冬越えも辞さない覚悟になってしまっていた。

 一種の中毒症状ですね。


 さて次の章辺りでこの『ロジョウ回想録』を一旦総括致します。
 

 

 
| ブルース・エトセトラ | 22:37 | comments(0) | - | pookmark |
ナンバと梅田のアルバム。その2
JUGEMテーマ:音楽


 『ロジョウ』

 を辿る旅に唯一残されている素材は、当時の写真しかない。


 まだ携帯電話も持っている人の方が稀であり、ましてやインターネットの普及もスタートしたばかりで、デジカメやYouTube、Googleなんて存在していなかったのではないか?

 実際、ライブ情報などの検索は、本屋にあるぴあや、ブルース雑誌もレコード屋にいくつか並んであった。

 アマチュアのボクたちのライブの集客方法と言えば、もっぱらがスタジオやレコードショップ、楽器屋などに手製の手書きフライヤーを貼ってもらうお願いに出向いたり、結局は友人知人を頼りにすることで、ライブハウス側から科せられたノルマをなんとか達成する具合だった。


 ブッキングを取っても、この一連の作業のわずらわしさにとうとう根を上げてしまったボクたちに一筋の光が差し込んだ。

 それが、ロジョウという手段であった。

 東京方面のブルースバンドが、ロジョウで人を集めているとか噂で聞いていたのもあった。

 いち早く岡部キングが、自前のバンドでナビオで演奏していると聞きつけたのもその頃である。

 ここからどういう経緯でそうなったか曖昧な記憶しか残っていないが、ともかくロジョウがスタートしたのである。

 
 当初は、ジャムセッション的で、固定メンバーではなく入れ替わり立ち代わりの演奏という形式だった。

 拙い腕を棚に上げて意気込みだけは、人一倍あった気がする。

 「ブルースを知らない人に聴かせるんや!」


 他に発電機・アンプ持参の大音量で演奏する路上演奏者などまだ物珍しかったのだろう。

 通りがかる人が、立ち止まる光景がポツポツと現れる。


 今までライブハウスの限られた時間とツテで集まった知人相手に演奏していた風景はどこにも無い。


 家路へ急ぐ人が、立ち止まる。


 なんと素晴らしく、気持ちの良い光景だろうかと・・・。(もちろん関心の無い人、耳を塞ぐ人、からむ人が大多数ではあったが)


 95年の曾根崎警察一斉検挙事件(10数人の警官に取り囲まれ、曾根崎警察に連行、写真撮影・押印を強要される)で、ナビオ前から撤退。

 
 キタがダメなら、ミナミやないか?結論は早い。


 ミナミ、なんばへ移動する。

 ミナミのシンボル、高島屋前(厳密には隣の住友銀行軒下)が主戦場に決まった。


 ここでどれくらいの月日を費やしたのかも、記憶にも記録にも乏しい。数枚写りの悪い写真がアルバムに残っているのだが、96年の日付がある。


 もちろんロジョウが公に認可されている訳ではない。様は不法行為だ。

 住友前の軒下から南海なんば駅に向かう通路の辺りまでが、いつの間にか人垣で埋まってしまうという事態になった。これもきっと物珍しさが手伝ってのことだろうが、事はそれで済まされなかった。

 公権力の再登場である。

 「この軒下は、住友銀行の土地である」

 最もな理由である。

 しかしこちらも諦めない。

 次からは、ひっくり返って軒下に向かって位置取りをする。


 こうして不定期にロジョウが固定化していく訳だが、ここまではボクの記憶だけが頼りで明確な記録は残っていない。他のメンバーに聞けば、話も変わってくるかもしれない。

 ロジョウの固定化に伴って、このあとメンバーも固定化していくことになる。


 そのきっかけは、『発電機爆発寸前事件』である。

 徹底的に痛めつけた岡部キング保有の小さな発電機がついに悲鳴を上げてギブアップしたのだ!

 もしも爆発していたら、新聞沙汰になったかもしれない。


 この事件を境に、ロジョウは思わぬ方向へ向かうことになる。


 メンバーの固定化が、バンドへと成長していくのだ。


 それを真っ先に先んじてスタートさせたのが、岡部キング、Boogie Machine、アイパー大西を中心にしたメンバーである。
 のち彼らは『ゲットー・パンチ』と名乗って、馬鹿でかい露天商が使うプロ使用の発電機を引っさげて、ロジョウに復帰をする。

 なんば高島屋側から、バス停広場へ移動。またキタは梅田阪急百貨店とJR大阪駅を結ぶ横断歩道の陸橋下へも進出。
 機材もグレードアップ、PA、スピーカーが登場。


 さて、先を越された我々も手をこまねいてはいられない。

 小生も自腹で発電機、スピーカーを購入、貰い物のPAも積み込み、当時組んでいた『SPECIAL AGENTS』でロジョウ活動を開始、
 
 栄チヒロ率いるメンバーは、『チヒロクインテット』を名乗り活動。

 京都の『アンクルTブルースバンド』も三条京阪土下座像前で活動開始。


 仲間が集った『ロジョウ』は、こうして数年後には形を変えて、各バンドが対抗心メラメラに再開するのである。


 もうライブハウスのノルマの事など誰も気にしなくなった。

 ここがステージだと、自然に思う様になっていく・・・・。


 
 この辺りから、記憶を記録がつじつまを合わせてくれる。

 我が家のアルバムに大量に残る現像された写真である。

 現在は小生の家人に収まった彼女の一眼レフカメラで撮影された。

 

 画像はゲットーパンチ。岡部キングとアイパー大西。

 
 その3からは、そんな大量に残された写真を素に『ロジョウ』の日々を回想、検証していこう。

 
| ブルース・エトセトラ | 22:31 | comments(0) | - | pookmark |
ナンバと梅田のアルバム。その1
評価:
Brewer Phillips
Wolf Records
¥ 9,294
(1998-06-17)

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 冷たい木枯らし1号の北風が大阪でも吹いた。


 あまりにも唐突に。


 毛布を引っぱり出し、寝間着も上下長い物に慌てて変える。


 スーツの上着もクリーニングにも出せないまま、羽織って家を出る。


 ついこの間までカーエアコンは冷房だったのが、窓を閉め切っても少し身震いする。


 長い冬の小さな足音に戸惑う一日。

 心身ともに準備が整っていない。


 もう10年は愛用している長袖のアロハもこの調子なら出番なく終わるってしまうのか?


 小生の出社の行き帰りは自家用車。
 
 その往復の行き帰り、眠気覚ましの唯一の楽しみは、200枚程DJケースに積みっぱなしにしてあるブルースのCDを差し込む瞬間である。
 時には気分的に、ジャズやソウル、ファンクに傾く事もあれば、モータウンやガールズグループで爽やかに鼻歌まじりで出社もある。

 でも憂鬱な気持ちをスッキリと解き放ってくれるのは、今だブルースであることに間違いはない。


 木枯らしを後押しするそぼ降る雨で縮こまった身体を今朝温めてくれることが出来たのは、ブリューワー・フィリップスとテッド・ハーヴィーのシャッフルのおかげだ。


 帰路は、一転してJerry McCainのロッキンであり、いなたいハーモニカを聴きながらハンドルを握る。

 

 


 
 すっかりと日暮れが早くなったその道中、ふと脳裏にある光景が連続写真の様に浮かんだ。

 今夜はその記憶を振り返ることにする。


 「振り返る」ことは、決して後退を意味しない。

 ブログでも機を見ては、過去を振り返ってきた。

 今があるのは、その過去の出来事の積み重ねであり、偶然か必然だったかは、当時は気づくことが出来なかった種々の小さなエピソードが、巡り巡っていることを肌身で感じるからである。


 ではその連続写真とは、何か?


 小生のプロフィール欄をクリックして頂ければ、その過去の事情を書いている。

 『路上演奏』

 共通して皆、『ロジョウ』
 と言った。


 ボクたちが、そのロジョウに場を求めた時期は、定かでは無い。

 95年あたりから記憶があるが、実際はもう少し前、93年か94年の事だろう。


 こうして仕事を終えて、ブルースを聴きながら、真っすぐ家路へ急ぎ機材を積み込む、あるいはもう機材を積みっ放しという状況が果たして何年続いただろうか・・・。

 車の中は発電機のガソリン、アンプ類からの独特の匂いで充満し、車体は重みで沈み、後部座席のシートは傷づいていた。


 ひと言で片付けるとしたら、『しゃかりき』になっていたのだ。


 記憶では梅田のナビオ阪急前の三角州辺りが最初だったのではないか・・・?

 元々の首謀者はこのブログにも数多く登場する当時弱冠20代前半の知り合ったばかりの岡部キングだったはずである。
 彼の持っていた発電機の活躍はこのあと場所を転々と変え、活躍し続けるのであるが・・・。


 出逢い、仲違い、各種トラブル・・・と常に向かい合わせに『ロジョウ』への熱意を益々強めていく過程を綴ろう。
 これは、今の生温い自分を鼓舞する為である。


 木枯らし1号の身震いなど意に返さず、なんばや梅田に馳せ参じた日々、仲間と共有した記憶を・・・。



 
 
 


 

| ブルース・エトセトラ | 22:26 | comments(0) | - | pookmark |
NHKドラマスペシャル『大阪ラブ&ソウル この国で生きること』
JUGEMテーマ:音楽


 つい少し前まで、久米君宅にてワイワイ、ガヤガヤ話が尽きなかった。



 起床しばらくして、快晴だったので、久し振りに大阪の中心街へ出る予定を急遽作る、
 
 そして久米君にメールを打つ。

 
 「遊びに行ってええやろか?」


 突発的に相手のことも気にかけず、一方的にこちらの都合を投げかけるのは、ボクの昔からの悪い癖だが、久米君が断れるはずもなく、快諾してっもらった。

 日曜日の大切な時間を突然に拝借することになり、申し訳なかった。

 

 朝とうってかわって降り出した雨もものともせず、三木君も自転車走らせて途中から合流。


 この3人プラス2名にチビ一匹。

 一旦話が弾むと、それはそれは止めどもない。

 こういうときの時の経つのはあっという間である。


 気が付けば、長居となり、夕飯の頃を過ぎてしまい、近くのオリジン弁当でテーブルを囲むことになった。(人生初のオリジン弁当・・・なかなかハマりそうです。)



 つい半日前まで同じメンバーとともに、いつものシカゴロックでセッションを散々やったところである。

 前夜中途半端に終わった雑談の延長とも言えたが、酒無しでもよくあれだけ熱を帯びて喋れるものだ。



 

 今夜の本題、
 そのシカゴロックがドラマの舞台として、登場する。


 それも天下の公営テレビNHKの土曜日のゴールデンタイムという時間だ。

 「林 海象」原作のドラマスペシャル、

 『大阪ラブ&ソウル この国で生きること』

 

 主演俳優は、今をときめくモテ男、瑛太の実弟、永山洵斗


 数ヶ月前に撮影がされたことは、伏せておいたが、いよいよ放送日が迫って来たこと、宣伝チラシや公式ホームページでも放送内容などが公開されたことを受けて、当ブログでも取り上げることにした。

 ボクはその撮影現場には立ち会わなかったが、興味津々のシカゴロック縁の人達は、ひと目見ようと数人が野次馬になったらしい。

 実際は予想以上に物々しい撮影が行われ、関係者以外は足を踏み入れられなかったそうだ。

 この俳優さんのことは失礼ながら詳しくは知らない。

 それより馴染みのシカゴロックが撮影の現場に選ばれたことが不思議であり、嬉しくもある。


 主演の永山洵斗君が演じるのは、ブルースハーピストだということが、まずもってブルースファン、シカゴロックファンの一人としては嬉しい。

 シカゴロックはその演奏シーンの場面で使われたいうことである。

 マスターに「どのシーンに使われるんでっか?」と聞けば、冒頭の3分程度無事に採用されたそうだ。


 猥雑で雑然としたあのシカゴロックのバーが、どう変身しているかはたまたそのまま画面に映し出されるのか、興味深いことである。

 野次馬達の淡い魂胆のエキストラ参加は、実現しなかったらしいが、今一番お世話をかけているシカゴロックが、どうあれ全国放送のドラマの1シーンに登場する。

 こんなイケメンのブルースハーピストのライブが実際あったら、そりゃあ若い女の子達でいっぺんに華やかになるだろう・・・。


 放送日時は、NHK総合。
 11月6日土曜日、午後9時から10時13分まで。



 是非チャンネルをあわせて下さい。

 
 


 さて、秋も徐々に深みを増して来て、肌寒い夜もある。

 あの余りに暑かった夏の残像がまだ肌に染み込んでいて、いささか実感が無いが、今年も残りの日数を数えるくらいの時期になった・・・。


 久米君らと別れたあと、小雨の残る通りを歩く。

 大阪の街路樹と言えば、銀杏と決まっているが、あの独特の匂いが鼻を突いた。


 我が家には、信州から届いた大粒の栗が、準備万端待っている。

 
 (息子のヤンチャな手がちゃっかりとフレームイン)

 
 いつものリンゴも届き、冷蔵庫は彼らで隙間が無い。

 
 栗は、栗ごはんになるか、蒸し栗になるか決まっていないが、前者だろう。

 リンゴは、例年通り大量のジャムになるだろう。



 とある事務所のマスコット的存在、某猫ちゃんの背中・・・。

 陽射し差し込む外の空気を吸いたくて堪らない背中が哀愁を帯びている。
 
 


 来週末は少しご無沙汰の神戸に走ることが、さっき決定した。


 秋の夜長、皆さんはどう過ごしておられますか・・・?

 

 笑っていますか?




| ブルース・エトセトラ | 00:03 | comments(0) | - | pookmark |
生涯の買い物。
JUGEMテーマ:日記・一般



 2晩続けての私事記録。



 ブログをコソコソと書き始めて、5年以上になります(このjugemに越してくる前の約1年の日記は、残念な事に消失してしまいました・・・)

 
 幼い頃から日記というこのわずらわしい類いに全く縁も興味も無かったボク。仕事でも手帳を使わず、もっぱらメモ用紙に殴り書き程度です。
 そんな日常生活の中で、この作業が知らず知らずとても楽しいものになりました。

 ハッタリめいた事、知ったかぶりな事、どうでもいい痴話、柄に合わないお花畑などなど、ブルースの話はこっちに置いといて、脱線また脱線でとりとめの無いまま現在もなんとかかんとか継続中です。

 近頃は、Twitterで短い文章を日に何度も呟くというスタイルが、手軽かつ広がりを持つ情報伝達方法として台頭してきました。

 このブログにどれだけの人がアクセスしたのかは、定かではありません。

 機能上、ある程度その数値を毎日確認は出来ますが、一方通行な数字で当てになりません。


 コメントに感想が入っている日などは、飛び上がらんばかりに嬉しいものです。


 本当なら今夜の日記には、タイガースの勝利を高らかに綴るつもりだったのに、見事な逆転負けで、あっさりと今季終結してしまいました。
 なぜか今年のブログにタイガースに対する愛情ある記事を残せなかった理由があるはずです。

 85年を上回る様なダイナマイト打線の形成や、金本選手の連続フルイニング出場が途切れたり、同年代の希望の星の一角、矢野選手の引退などトラキチを自認するならば、熱っぽく記すべきでした。

 最後にこんな尻すぼみな日記を事細かく書く事はやめにしましょう。

 ボヤキは、ツイッターの場を愚痴のはけ口にすることにします。


 これまでたびたびブログに登場してもらった皆さんには、何の掲載許諾も得ずに画像を添付したり、ある事ない事エピソードを記述してみたりと、ご迷惑かけていませんか?

 もし、「いらんことかかんといて」と思われる事があれば、ご遠慮なく通知して下さい。コメント欄以外にも、直接メールを送って頂く事も可能です。
 プロフィールの『TAKAGIMAN』をクリックして頂ければ、PCアドレスを添付してありますので。
 『TAKAGIMAN』プロフィール


 
 仕事関係では季節の風情を感じる間もなく、もう年末や年始に向けてのやり取りが始まっています。

 あの灼熱の夏の記憶も遠くなりつつあり、またひとつ重ねる年齢のことばかりが気にかかるこの頃。


 以前の日記でたびたび週末に「とある打ち合わせ」と口を濁していたことが現実味を帯びてきた。


 40を過ぎて、ようやくというか、借り屋住まいから脱し、自分の一生の棲み家を建てる覚悟を決めたという次第。

 建築事務所を通じ土地探しから始めて1年がかりで、納得のいく場所を見つけたという訳です。

 自分が他のブログに取り上げられるというのは、いささか恥ずかしいものです。

 その建築事務所のブログに打ち合わせの模様が、掲載されました。
 http://blog.goo.ne.jp/saito-archi-2/e/216cabab0f5edbf3271b39b574e76452


 これから本格着工に向けてさらに具体的詰めの打ち合わせで頻繁に週末は出向くことになります。

 不安と期待がまだまだ入り交じった心境ではありますが、来年の春には、小さいながらも新しい我が家が建つ予定です。

 こんな大きな買い物は、宝くじでも当たらない限りは、生涯でこの一度きりだと考えられます。


 外観は、こんな感じの狭小住宅になりそうであります。

 

 気の合う仲間が寄り合う事の出来る空間の確保を試行錯誤しつつ、間取りがほぼ固まりました。

 完成までの経緯も少しずつ、ブログに自分用に記録して残したいと思います。


 やぁ〜でも、何度も押した実印や提出した証明書のことなどを思うと、大きな買い物にこれは相当に責任重大であることをひしひしと実感しております。


 
| TAKAGIMANの四方山な話 | 22:02 | comments(14) | - | pookmark |
おとーさん、走りました!
JUGEMテーマ:日記・一般


 今しがた家の前を地元神社の秋祭りのだんじりが、コンコンチキチキ、通り抜けていった。

 秋の空が高い。


 Tシャツにスイングトップでも羽織る、一瞬のこの季節、貴重である。


 週末は、初めてのおとーさん家業にいそしんだ。

 本来ならば出勤日だったが、先週雨天でお流れになった、
 保育所の運動会ということで、振り替えの休日にさせてもらった。

 

 保母さん手作りのパンフレットによれば、9ヶ月の息子の出番は、
 絵本『ピヨピヨ森のゆうえんち』を題材に母親との障害物とお遊戯的なものである。

 
 
 
 これ以上申し分の無い朝からの秋晴れに恵まれ、敷布を持参して、保育所前の児童公園に場所を確保。昔ボクも幼い頃よく遊んだ場所だから、なんだか不思議な心持ち。


 一番年少組で、もちろんやっとハイハイからつかまり立ちになったばかりの息子は保母さんに抱っこされての入場となった。
 年長さんは予行演習通りにしっかり入場行進しているけなげな様子を見て、おもわず笑顔がほころぶ。

 周りを見渡せば、おとーさん連中が三脚持参でヴィデオを回している。ボクも手持ちのヴィデオとデジカメを交互に取っ替え引っ替えして、ズームで息子の呆然とした表情を追う。

 


 ある大規模な幼稚園などは前夜から場所取りなどがあるらしいが、民間の保育園なので規模も児童数も30人程度のこじんまりとしたものだったけれど、手作りの雰囲気に満ちていて、午前中の僅かな時間ながら親になった実感を再び得ることが出来た。

 
 おとーさんの仕事は撮影だけかと思ったら、最後に父兄リレーが待っていた。


 一応紅組と白組に別れての徒競走。

 たこ焼き頭に紅い鉢巻きを巻いていると、保母さんからニコッとされ、
 「アンカーお願い出来ますか?」

 アンカーという言葉に血が騒ぐ。

 学生時代は、リレーのクラス代表には選ばれてもアンカーの経験は無かった事を思い出した。

 白組のおとーさんは、ボクよりもさらにお腹周りの大きい人だったから、
 「これは勝てる・・・」といやらしく内心でほくそ笑む。
 しかしよく考えれば、この何年も全力で走った事がない。ウォーキングに毛が生えた程度の体力維持に挑んだ時期もあったが、それもいつしか中断したままだった・・・。


 この話を事前に幾人かに伝えたら、「こけたりせんように」「靭帯断裂など起こさない様に」とか「よくストレッチしてからやらな」と忠告を受けた。
 いっその事ずっこけて笑いを取るのも策かな?と要らぬ考えがよぎるも、あっという間にまわって来たバトンを受けた時には我を忘れて、必死に小さなサークルを走っている。

 はるか前方にあの胴回りの大きい白組おとーさんが、走っている。

 「んにゃろ〜〜〜!」と足を上げるが、自分でもそれが小気味よく回転していないことが分かる。

 あとは笑って誤摩化すしかなかった。

 



 という訳で、おとーさんぶりを発揮出来ず、息子に目をやれば、彼はグースカと寝ておった。

 
 息子と同じ学年の子供を持つ友人がわざわざ見学に来ていて、彼女親子も交えて、運動会終了後は、我が家でたこ焼き・お好み焼き・焼きそばのソース三昧をつまみながら、金本のユニフォームと縁起の良いメガホンで(92年亀山新庄ブーム時代と2003年星野阪神優勝記念メガホン)阪神・巨人戦を観戦するも、盛り上がりなく完敗。
 余談だが、友人の息子は、大のトラキチ両親によってタイガースにちなんで名付けられてもいる。


 夜は、近くの焼き肉屋で、いろんな記念にささやかな宴。

 何ヶ月ぶりかに吉野家の牛丼以外で牛肉を食らう。
 
 


 独身時代から家人と二人の共同生活そして、現在親となった立場。

 人生には、偶然か必然か不思議な事が多い。

 その一瞬一瞬が大事な時間になっていくことだけは、どうやら確かな様だ。

 

| TAKAGIMANの四方山な話 | 12:11 | comments(2) | - | pookmark |
33人の69日間。
JUGEMテーマ:ニュース


 想像するだけで、気が遠くなる。

 
 69日間にも及ぶ地下約700mでの密閉された生活。


 日本の裏側チリで起きた鉱山岩盤崩落によって取り残され33人の鉱夫達が見せてくれた屈強な精神力、生命力に拍手を送らない者はいないはずだ。


 絶望の淵で闘う人間の持つ計り知れない能力と知恵を痛感した昨日一日だった。


 日本のニュース番組でその生中継を最初は観ていたが、アナウンサーの緊迫感を煽る無駄話が邪魔で、ケーブルテレビのCNNに切り替えた。こちらの方は、淡々と救出の一部始終が現場の音声のみで中継されている。
 こちらの方が、不謹慎だが臨場感に息が詰まる映像である。

 一人また一人と、あの小さな『フェニックス』に収容されて69日ぶりの地上に生還する様子は、これが災害だということを忘れてしまうほどに感動的な風景であった。


 3人集まれば仲違いが起こる日常で、33人の年齢もキャリアも違う彼らが、想像を絶する劣悪な環境の中でも、悲観せず、団結し、この奇跡の一日を待ち続けてこれた事には驚きしかない。


 もしも、ボクがそんな状態に突然放り込まれたならば、と考えてみる。

 きっと、一晩中泣き叫び、喚き散らし、不満を爆発させ、絶望の言葉を毎晩吐いていただろう。

 

 69日間彼らを支えていたものとは、一体何だったのだろう。

 簡単に『希望』『奇跡』『神のご加護』を信じただけだろうか?


 33人目の生還者となった、現場監督の組織的な統率力が高く評価、論評されている。

 死と向かい合わせになった鉱夫達の希望を奮い立たせる為に投げかけられた言葉とは果たしてどんな言葉だったのだろうか?
 

 知りたい。


 生還後に抱き合う家族の存在も大きな力になっただろう。

 信仰心も支えになったはずだ。


 
 結果的に全員が無事に生還したこの奇跡の物語、当然とも言えるが、早速映画化の動きが具体的に動いているらしい。

 主演もすでに決定なんていう用意の良い話だ。

 http://www.cinematoday.jp/page/N0027582
 (参考ソース)


 実際の映像や当事者の証言などを盛り込んだドキュメンタリー作品もいくつか制作、放映されるに違いない。


 しかし、よくよく考えれば、この事故原因の究明も忘れてはならない事実だ。

 鉱夫達は、何度も事故が起こり、他の鉱山よりも安全性が低いと言われているこの鉱山で働かざるを得なかった。賃金が高いともいう。

 貧困という下地がここにも横たわっている。

 そして採掘された鉱物は、先進国の大企業や商社の手に渡り、彼らの様な鉱夫達は決して今以上に潤う事は無い。
 
 
 我々日本人もこうした途上国の人達の苦しみの上に存在していることを、この事故からあらためて学び取る必要がある。


 この子供の涙・・・。
 
 「良かったね」ブラボー!

 



 
| TAKAGIMANの四方山な話 | 02:00 | comments(0) | - | pookmark |
アイパー大西&THE SEEDS OF REED with ヨシ水野
JUGEMテーマ:音楽


 土曜日、予定されていた息子の初運動会が雨の為延期になった。

 当然父親になって初めての行事を指折り数えていたので、3連休の初日早々から落胆する。

 

 代わりに翌日は、こちらも初めての友人の生後3ヶ月の男の子と初対面した。

 我が家を含め、大中小3人の赤ちゃんがそろい踏み。賑やかな半日を過ごす。

 ちょっと、先輩風を吹かして、喋り過ぎた。


 友人宅は、大阪の東、奈良との県境に横たわる生駒山系の中腹に位置する。

 標高は600m程の小高い山だが、母校の小中学校の校歌で必ず歌われる。

 幼い頃小児ぜんそくを患った友達の多くは、この山の影響に他ならない。

 大阪湾から噴出する工場の有毒ガスが、この山にぶつかり、麓の街に淀むという訳だ。空が黄色く着色されて太陽の光を遮断する、いわゆる光化学スモッグが頻発して、運動場になびく赤い旗は、戸外で遊ばない様に伝える印だった。

 

 ミッション車なんかで、慣れない運転手が迷い込んだら冷や汗の連続間違いなしの急斜面を登らなければならない。
 子供をネタに散々喋り終わって帰り支度を始めた夕刻、窓から大阪湾までが一望出来る雨上がりの西の空にちょうど沈みゆく夕陽は抜群の眺めだった。
 カメラをうっかり持ち忘れた事を悔やむ。

 
 帰宅後は、急いで眠りこけた息子を風呂に入れ軽く胃に物を流し込み、一人外出。

 シカゴロックも会場のひとつとなっている、

 『天満音楽祭』に参加するため。

 直前に伊勢のアイパー大西からメールを受信。彼も遠路、シカゴロックに向かっている。

 9時頃到着予定というので、時間を合わせる事にした。


 マスターが思い付くだけ列挙した名前がチラシにびっしりと書かれていたが、全員が参加したとは到底思われない。

 5時から始まったライブもボクとアイパーが到着した9時頃には、あらかたひと段落ついたようで、すし詰め状態だったらしいお客さんもほとんど掃けたあとだった。

 出演を終えた仲間が路上に屯している。

 着くやいなや、先日来日して、その興奮のステージを披露してくれたばかりのソロモンバーク王の急逝を聞かされ、驚く。


 さてライブの方は、進行係も誰がやっていたのか不明だったが、呼ぶ声がしたので、アイパーのハーモニカ、ヨシと池田君のギター、ベースはアキト、そしてドラムスに小生という、土曜日の深夜のジャムとなんら変わらないメンバー編成で4曲ほど演奏した。

 お祭りだし、演奏の出来不出来など誰も言わず、次のセットにバトンタッチをしたのちは、屯している仲間との笑い話の輪に加わって時間は過ぎた。

 

 アイパーの二人の子供達の延期になった運動会が今日に振り替えということで、わずか2時間程の滞在でとんぼ返りしていった。


 そのアイパーと組んでいるバンド、

 アイパー大西&The Seeds Of Reedのライブが来月、同じシカゴロックで予定しています。

 今回はリード・ギタリストのバッドボーイ明里氏が欠場の為、代役ゲストにヨシ水野を加えてのライブとなります。

 ギターのロッキン江上を含め彼らとは、解消したSpecial Agentsで活動を共にしていたので、特別な準備は不必要かと思われますが、久し振りの顔合わせで、楽しみであります。

 
 11月13日(土曜日)

 スタート時間は20時からの2ステージ。

 チャージ1500円(ドリンク別途)


 

 アイパー大西(ヴォーカル&ハーモニカ)
 ロッキン江上(ギター&コーラス)
 永惠太朗(ベース)
 TAKAGIMAN(ドラムス&コーラス)

 (ゲスト)ヨシ水野(ギター)



 今日アイパーより連絡があり、かねてから画策していた、アイパーの地元三重県でのライブが決定しました。

 主戦場は大阪中心で、地元三重での活動は全くやっていないアイパー自らブッキングしたものです。

 彼の住む伊勢の隣町、最高級牛肉で有名な、松阪に遠征です。

 
 ずいぶん先の話ですが、決定したというので、その日と場所のみをお伝えしておきます。


 
 2011年3月20日(日曜日)
 三重県松阪市・M'AXA(マクサ)Bar&Grill・Live Music

 
 http://www.maxa.jp/

 詳細が決まり次第随時ご報告します。




 ****************************************************
 (最後に笑える余談をひとつ。)

 天満音楽祭後、ギターの池田君は帰りの方向が同じなので、送っていくことに・・・。

 自宅近くの幹線道路沿いに路駐をし、少しの雑談のつもりが、ブルースの話や今後の活動などの話に点火して、長時間あれこれと意見を言い合うことに。

 誰とでもよくあることで、このての話を始めると、どちらかが言い出さない限り終わりも結論も無い。


 そんなこんなで夜も更けた時、ボクの座る運転席に向かって声がする。

 ジェイムズ・ブラウンがエンドレスで流れる車中に、声の主の言葉は聞き取りにくかったが、その容姿風貌を見て、二人ギクッとした。

 警官である。

 それもバックミラーに目をやれば、数名に取り囲まれていた。

 「旦那さん、ここで何してはりますか?」

 覗き込みもう一度繰り返す警官。

 「あ〜〜すんまへん、こいつを送って来たんやけど、話に花が咲いて、止まらん様になりましてん、もう帰るとこやったんですわぁ」

 「一応免許証見せてくれますか?」

 「へぇへぇ」

 警官は車のナンバープレートを照合しながら、ボクの免許証をジロジロ調べ始めた。

 簡単に言えば、『職務質問』というわけだ。


 久し振りの職質に吹き出しそうになる二人。


 以前、ジミー・リードを深夜大音量で流しながら、車を飛ばして、パトカーに静止を促されて以来である。

 昔のナンバや梅田の路上だったなら、平気で食って掛かったが、こういう場合は、世間話でもして笑っていた方が良い。

 助手席から片足が出たままだった池田君と苦笑いしながら、話を切り上げ別れた。

 「池田君、あの続きはまた今度しましょう!」

 
| 最新ライブ・ジャムセッション情報 | 23:50 | comments(0) | - | pookmark |

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