10月12日の日記で万博について、思いつきに書いた。
http://takagiman.jugem.jp/?eid=718
さかのぼって、もう一度見てみたら、新緑眩しい絵が収められていて、つい先月の事とは思えない。
昨日もとある要件があり、昼過ぎに万博公園に赴いた。前回とは一転、黒ずんだ雲から、しとしとと冷たい雨。
帰り際、霞む灰色の夕暮れに浮かぶ雨に濡れた太陽の塔は、不気味な佇まいで見送ってくれた。
前回は、古いアルバムから万博の微かな記憶を振り返ってみたが、その後、再度実家の押し入れをひっくり返した結果、いくつかの万博関連の品が発掘された。
遠い記憶に薄らと点滅する『バンパク』の残像・・・。
発見された品は、公式ガイドマップとポストカードセット、そしていくつかのパビリオンのパンフレット類である。
当時のパンフレットに並ぶ写植文字から、あの時代における空気を嗅ぎ取った。将来のニッポンに大いなる希望を抱いた日本人の空気が充満している。
見つかった公式パンフレットは、今も日本を代表する大企業グループのパビリオンのモノである。
『東芝IHI館』(東芝と石川島播磨重工の共同出資)
『富士グループパビリオン(エアドーム)』
『松下館』
『三菱未来館』
まずは、東芝IHI館のパンフを開いてみよう。
キャッチフレーズは、希望ー光と人間たち。
「世界最大、360度9面マルチスクリーン』が売りなのようだ。
注目すべきはその奇抜な建築様式にある。4種類のテトラを組み合わせて1000トンの重量を支えているという。
なんと建築家に名を連ねているのは、あの故・黒川紀章氏であった。
続いて、富士グループ・パビリオン。通称エアドームだ。
怪獣的様相は、全パビリオン中で最も目立ったのでは無いだろうか?ボクの僅かな記憶の片隅に残る残像はこれかかも知れない・・・?
見開き、一面目にある流行のサファリルックポーズをとる、サイケな美女のどこまでも希望に溢れた目線が眩しい。
地元大阪の誇る企業、松下館。こちらは日本的美とテクノロジーを融合させた作り。
当時、巷でも流行った『タイムカプセル』がここでの目玉らしい。その規模が、度を超しているのだ!
なんと!5,000年後の6,970年まで埋蔵されるという驚くべき計画だ。しかも埋めた場所は、大坂城本丸跡の地下15メートルに埋設され、当時考えられる最高の特殊鋼と溶接技術によるタイムカプセルの収納物は、2,068点に及ぶと言うのだ!
ちなみに2個埋設されたうちの1個は、30年後に一度開くと書かれてある。ということは、2000年に日の目を見た計算になるが、関西ローカルのニュースでも耳にしなかった・・・。5,000年後この事実を誰が憶えているのか?もとより地球は、人間は、この世に存在しているのでしょうか??
http://panasonic.co.jp/history/timecapsule/index.html
こんな途方も無い明るい未来を見据えていた高度成長期のニッポンだったとは・・・。
最後は、三菱未来館。ここでの売り物は、近未来のニッポンを予期する映像が、動く歩道(ここでは、トラベーターと呼称されている)で体験出来る。
特筆すべきは、パンフレット最終面にある『50年後のあなた』というページだ!
大商社三菱が描く、家庭・教育・病院・農業・住宅・オフィス・スポーツ・漁業の未来。
「家庭」は、オートメーション・プログラムが生活に導入され、主婦は電子チェアに座ってボタンひとつでプログラムを遂行するだけ、世界中のテレビ中継が見られ、自家用ヘリコプターが普及し、コックをひねればミルクが出るとある・・・。
「教育」は、科目別進学制に変化し、個人の能力を伸ばす。教育はテレビで各家庭に放送され、学校は団体生活を養う役割になっている。
「病院」 医学の進歩は、ガンは克服され、交通事故以外は手術は不必要になり、人工臓器が当たり前に活躍する。
「オフィス」 オートメーション化され、人間の労働時間は一日4時間に短縮され、通勤も伸縮自在の高速列車の登場でラッシュは解消される。
「スポーツ」は、愛好家のためでなく、義務スポーツへ変化し、海底散歩も一般的な物になる。
「漁業」 漁業衛星で魚群を探知し、魚は工場船で加工され、人工養殖も発達する。
実現しているところもあれば、夢物語的な空想もあって笑えた。ちなみに起案メンバーには、SF作家の星新一氏の名も連ねられていた。
・・・というわけで、1970年の日本人が当時の科学技術の粋を集め、開催された
「バンパク」は、夢と希望に溢れていた事を30年ぶりに開いた古い印刷物から予想以上に読み取る事が出来た。
今の日本人に果たして、こんな夢想を企画し、実現し、なおかつ大成功させるエネルギーが残っているのかな?30年前、このイベントを立案した人達が想像した未来は、こんなニッポンだったんでしょうか?