前の前の前の総理が今頃、カメラの列に追いかけられ、ナントカ劇場の再演か?とお騒がせだ。
発言うんぬんなどどちらでもよく、その目線が我々に向いている事を切に望むが、甚だ疑わしい。
とにかく、未曾有の不景気が日に日に我が身にも接近している不気味を実感しているのだ。
そんな不安感を一掃するべく、今日の休日も外へ出る。
早起きし、長野から届いたばかりの訳ありリンゴを朝食に、前夜の炊飯器に残った白米を昼食用に握り飯に仕立て、お馴染みの行き当たりばったりに表へ出た。
まだ路面は、生温い雨に濡れている。西の空は少し明るく「この分なら大丈夫」、晴れるだろう。
先日、坂の町「石切さん」を歩いたことを長々書いたが、続編と思って下さい。
前回の訪問地「石切」の隣町は、奈良への街道も伸びる国定公園を持つ。
額田(ぬかた)〜枚岡(ひらおか)〜瓢箪山(ひょうたんやま)エリア。足腰丈夫になる坂の街。
ちなみにこの山肌に、しばらく元エイジェンツのハーピスト・アイパー大西が住まいを持っていて、根無し草に暇を持て余した数名(ほとんど私だが)が夜な夜な『たむろ』した(あることから、自ら溜め息ブラザーズと名乗っていた)。
狭い坂の途中に朝まで路上駐車したことはずいぶん前の事・・・。
いくら行き当たりばったりだと言っても、この地を目的地に定めた理由はひとつだけある。
『枚岡梅園』
実家のトイレに貼ってある地元信用金庫のカレンダーの2月の絵柄に取り上げられていたからなのだ。
そんなきっかけなど家人には黙って付き合わせる。
午前中早く、額田に着く。ここから枚岡公園を梅園まで歩く事にした。朝から雲は依然重く、思ったよりスッキリしない。
さて雨上がり早朝の公園内はほとんど人影なく、家を出る前にネットで出力しておいた公園地図も忘れ、表示板と道標が頼り。
最初に出くわしたのは、暗越街道(くらがりごえかいどう)の石碑と松尾芭蕉の歌碑。
「菊の香に くらがり登る 節句哉」とある(意味は無学にてよく分かりません)。
ちなみに調べてみたら、この先にある暗峠を越え奈良の春日大社へと繋がり、古代、大阪となら平城京を結ぶ最短路として利用されたそうだ。
大阪高麗橋から玉造〜今里(石碑がある)〜東大阪の御厨(みくりや)、そしてここ枚岡の暗峠から生駒山を越え、奈良盆地へとつながっていくという今も険しい街道である。
・・・で、そんな『歴史街道を行く』的気持ちなどはなから無く、早咲きの梅に少し春を感じられれば、ほぼ目的達成だったはずが、『滝』や『橋』や『展望台』などの案内標識に導かれ、軽装のまま、山道に逸れていき・・・、息は切れ・・・、休み休み・・・と、梅までの道中をカメラに収めてみました。
小さな滝が、ありました。芭蕉も見たのでしょうか?
その滝から見上げる、変哲もない鉄橋。古の旅人は、この険しい山道を昼夜問わず歩いていたと思えば、視点も少し変わろう。
リュックにトレッキング姿の山歩きの人とすれ違う度に、自然に「こんにちわ〜」と言葉を交わす。
坂はキツく、濡れた斜面で時々滑り、これくらいの山道にくじけそうになる気持ちを爽やかにしてくれる。
苦しいこと(これくらいを苦労と言うな)を乗り越えれば、良い事もあるものだと、このあと味わう単純な小生の一日をもうしばらく続けます。