現ブログへ引っ越し後すぐに書いた
日記に、オーストラリア・ブルスベンから来たある青年についてのものがあったと記憶する。
難波の路上演奏で出会った弱冠21歳のやんちゃなオージー。
近くの英会話学校で授業を終えると缶ビール片手に自転車で現れる。酔って左右の靴を間違えるという理由で油性マジックペンで『LEFT』『RIGHT』と大きく書き込んだスニーカーがトレードマーク。
この半年、なぜか路上以外にもカラオケや飲茶を食べたり、あげくの果ては、ブルースに関係のない私の友人とも仲良しになって、オーストラリアに帰ったら縛り首にもなりかねないクジラまでご馳走になったり。
「おい、俺も食うた事無いぞ!」と一喝。
「で、味はどうやった?」
「Year!Good」
そのお茶目なジョーダンの家族が、夏休み(そう、かの地は今夏真っ盛りだ)を利用して、長期日本観光に訪れるという。
毎度ながら、いつも連絡が直前。
「アシタ、タカギマン、ヒマデスカ?」
カタコト日本語のメールに、こちらはカタコト英語で返信する。変な具合・・・。
という訳で、ジョーダンのファミリーと食事をする事になった。
家族は数えて6人。
パパ、ママに男ばかり4人兄弟。ジョーダン筆頭に21、19、17、15歳と見事に2年おき・・・・「ママはタフだね?」
話を聞けば、早朝5時半関空に着いたらしい。一度タイで乗り継いで。
当の長兄ジョーダンは実に嬉しそう。やっぱり21歳。家族が恋しくもあったのだろう。いつもとちょっと表情が違って見える。
日本の歴史に好奇心を持っている彼。以前手にしていた読みかけの分厚い文庫本は『天皇』の歴史を描いた物だった。
昨年4月に日本に来て一度だけ日本で嫌な思いをしてホームシックになったと、笑って告白してくれた。
事情を聞けば、街でいきなり見ず知らずの若者から、「お前らが、原爆落としたんや!」となじられたそうだ。にわかには信じがたいのだが、
「それ以外の日本は大好きです」と言ってくれる。
なぜ、日本に着いたばかりの両親兄弟と私たちと会食しようと思い立ったのか知りようも無いが、嬉しい誘いだ。
難波の喧噪を離れ、大国町で鍋を囲む事にした。
下町の居酒屋に突然現れた変なお客にお店の人や居合わせた飲み客はビックリしたかもな〜。
もちろん一家は日本が初めて。隣の次男坊が私以上に箸を巧みに使いこなすところはジョーダン譲りで、逆にこちらの不器用な箸使いを笑われる始末。
途中テーブルに出された一品料理のタタミイワシをつまみ上げ、「コレハ、サカナノ、エサデス・・・」と口にしない一家。
納豆なんかもへっちゃらのジョーダンも日本食で口に出来ないものは、魚の卵だと。
「アレハ、サカナノ、エサ」らしい。
そういえば、以前、釣り好きの小説家・開高健がカナダにキングサーモンを釣りに行くというドキュメンタリーを観た際、釣りあげた鮭の腹をかっさばいてイクラを取り出し、ご飯の上にぶっかけ、醤油を垂らし、旨そうにかき込む氏。それを横目に現地の案内者の不快そうな表情。熊でも卵は捨てるそうだ。
それはさておき、短い宴の後は、難波に戻ってカラオケ。シャイな10代の弟3人も打ち解け、パパ、ママも一節歌う。
アニマルズやジョニー・キャッシュ、エルビス、ビートルズ・・・。日本ではさしずめ、沢田研二とかサブちゃんを唄う感覚なのかな?
お開きは、例によって『クイーンのボヘミアン・ラプソディー』大合唱!
カラオケを終え、難波の街に出ると高島屋方面からは耳慣れたギター。
チヒロ君久しぶりの難波出現。実は毎週金曜は小生組の難波演奏の習慣なのだが、前日木曜日とこの日を都合で入れ替えたのだ。
ギャラリーの中には、他の仲間も偶然観戦中で、ジョーダンファミリーとご対面。
結局は終電前まで耳を傾け、両親と最年少15歳はホテルのベッドへ、お兄さん組3人は、ジョーダンに連れられて、日本橋の味園へ移動するためここで別れた。
約3週間の滞在中、京都や神戸、広島そして生まれて一度も目にした事が無い(ブリスベンは亜熱帯気候だから)という雪を体験するため北海道まで足を伸ばすそうだ。
安倍首相じゃないけれど、『美しい日本』をエンジョイしてほしい。
そのジョーダン、今年の夏にはタイへ移住計画らしい。その後は、ヨーロッパを目指すそうだ。
「夢は小説を書く事」という異国の青年。
短い付き合いかもしれないが、何年経ってふと日本を思い出す時、TAKAGIMANや仲間たちの事を思い出してくれたらハッピーだな・・・・。