数日前に日記にした『パーマ屋』ネタをご記憶でしょうか?
あの資料が、実家の本棚から発掘された時に、もうひとつ驚くべき(これも個人的に)中性紙の切り抜きが何十年かの時を越えて日の目を見た。
それをしまったままにした母張本人ですら記憶の彼方に置き忘れた物だった・・・。
『十代目菊号』と題された、何かの雑誌の特集の切れ端である。
B4版ほどに色褪せたカラー写真と古い書体の写植文字。
この切り抜きを見せられたボクは、思わず、
「なんじゃ、こりゃ〜」(ジーパン刑事風に)と飛び上がった。
その記事にボクが写っているというわけではなく、写真の中にある消失しかけていたセピア色の記憶が、蘇ったからだ。
そんな訳で、今夜もブルースの話題とは一切無関係な日記になる。
奇特な方だけ、お読み下さい。
タイトルに、『積年の疑惑』とした。
ボクはかねてから、この話題を人に告げると、決まって返ってくる言葉は、
「嘘やん!」
「作ってる!」
「んな、馬鹿な!」
いくら説明しようとしても、その事実が幼かったボクの記憶の片隅にかろうじて存在しているのみで、事細かい証拠を提示出来ず、「作り話」扱いされてお終いになることが殆どである。
今まで、ボクの事を虚言癖、嘘つき呼ばわりした者達よ!
まずは、この写真をとくと、見なはれぇ〜!
ボクの『嘘』とは、以下である。
「オレな、幼稚園の通学は、馬車やってんで。」
「これが、証拠だ!どうだ?」某君達。
時は、昭和48年の事と思われる。
(それは、この切り抜きの裏面に掲載されたある記事で想像出来る。これも証拠の一部として後述しよう)
写真の通学路が一体何処かはもはや判別不能だ。
しかし、馬を待つ幼稚園児と保護者が確認出来るでしょう。
鋪装されていない畦道の様な砂利に驚かされる。
それが校区内である事に間違いはないだろう。
次の写真は、到着した園内の様子だと思われる。
馬と戯れる園児の笑顔だが、これはボクの記憶に薄い・・・。
よくある取材用のカットかも知れない。
さて、ここまで書いたが、馬車通園の詳しい文章が、そこには添えられている。
これも動かぬ証拠として、抜粋、引用する。
「馬は利口なもんでんなあ。このクルマの洪水のなかを走ってて、まだいちども事故にあわんですわ。馬車の幅や大きさをすっかりのみこんどるし、交差点にくると、黙っててもピタリと止まるんです・・・」
大阪から電車で約一時間。生駒の山すそにひろがる河内平野ー東大阪市にある「菊水園」のご自慢は、千二百人いる園児のため、いまも毎週水曜と土曜日に「通園馬車」を走らせていることだ。
その馬車は、同園が昭和七年に開園していらいというから、もう四十二年目。もっとも、太平洋戦争がはげしくなったとき、三年間だけ馬が徴用されて休んだが、戦後すぐに復活した。(中略)
もともとこの一帯は純農村。同園は農繁期の農家の託児所としてスタートしたが、「通園馬車」は、近郷近在をまわって幼児を預かるのに牛車を使うか馬車にするかで父兄ぐるみの論争に花が咲いたすえ、やっぱり馬車のほうが、スピードアップするからいいとなって生まれたそうである。(中略)
ここいらもすっかり都市化して、住宅や工場がびっしり。(中略)
「そこでじつは、馬車を廃止してバスに・・・と考えたこともある。が、馬車に乗ったときの、あの園児達の表情を思い浮かべると、やっぱりどんなにムリをしても、つづけようって気になってしまって・・・」
と、園長は笑って語る。(中略)
「この交通戦争のおりに時代遅れやないか、いう声もおます。でも、こんな時代やからこそ、なおさらつづけてほしいですわ。だってすごく夢があるやおまへんか。私なんかも、もういちど乗ってみたいですよ」
と、同園の卒業生で、いまは父兄でもあるKさんは絶賛を惜しまなかった。
文中には、ボクの住む地域の変遷も読み取れてとても興味深い。
時代が、昭和48年(ボクは5歳)と確認出来たのは、同じ特集、どうやらこちらがメインだと思われる。
現在の人間国宝・歌舞伎役者、
尾上菊五郎襲名
まだ尾上菊之助と名乗っている浅草寺での”お練り”の模様である。
傍らに寄り添うのは、あの女優・藤純子。(中央)
『菊』に、どちらも共通点があるが、話の内容には脈略が見当たらない。
それはともかく、言うたびに馬鹿にされたり聞き流されたりしてきた疑惑が晴れた事、これで認めてくれますね?
この数枚の切り抜き資料は、また大事に母の元へ戻しておこう。
最後に、圧巻の画像を貼付けておく。
ここに写る幹線道路は、だいたいの察しがつく。
今も朝夕は車が列を成す生活路である。
交通規制も無けりゃ、法的にこの馬車の往来が認可されていたのかも不明である。
しかし、ボクの薄らとした記憶には、馬の大きなお尻と、時々『菊号』が、もよおして道端にポトポトと大きな「あれ」を撒きながら走るのだが、それを近隣のおばちゃん達が、当たり前の様にほうきとちり取りを使って処分していた事だ。
(これもよく嘘やと苦笑されたエピソードのひとつだが、この点には文中に触れられておらず、疑惑は残るのか?)