週が開けて飛び込んできた訃報。
また一人、偉大なるブルースマン、ギタリスト、
ヒューバート・サムリン
ありとあらゆる、公式、非公式な形でブルースファンの間で瞬く間にその死を惜しむ声がこの数日間溢れ返ってやまない。
あえてシカゴブルースというジャンル分けを試みるなら、巨星ヒューバートについて何かを語らざるを得ない。
ヒューバート・サムリンの残した音源の数々を語る上で、やはり欠かせない人物は、やはりハウリン・ウルフの存在であろう。
あとに貼付ける彼自身が語るインタビューからもそれが如何に自負であり、誇りであるかが明確に伺える。
シカゴブルースが隆盛を極めた50年代。
その中心は、チェス・レーベルであったことは多くのブルースファンが認める事だろう。
マディー・ウォーターズと対極にハウリン・ウルフが向かい合っていた時代。
数年前に映画化された『キャデラック・レコーズ』の中でも、そのくだりがレコーディング・シーンで二人の目線が印象的に挿入されていた。
このシーンでは、しっかりとヒューバート自身も登場していて映画館の座席で思わず小さく拍手をした。
マディーが表現する南部直送の重々しさと一線を画すウルフ独特のサウンドを作り出していたのは、まぎれもなくヒューバートの独創的なギターリフによるところが大きい。
そのリズムパターンは現在感じる以上に当時はきっと革新的であっただろうと勝手に想像する。
そこに乗っかるウルフの唸り声ときたら唯一無二、最強だ。
ちなみにボクが、シカゴブルースを聞き始めた時期、ダビングしてもらったハウリンウルフのベスト盤カセットテープは擦り切れるほどに聴いた覚えがある。
何年頃いつの事だか失念したが(98年?)、そのヒューバートをはじめとしたシカゴブルースマン達がバンド編成で大挙来日した。確か大阪公演は今は無き港にあったライヴハウスだった。
メンバーには大好きなドラマーのウィリー・スミスやギターではリトル・スモーキー・スマザーズ、ベースにカルヴィン・ジョーンズ、鍵盤はヘンリー・グレイ他だった。
勿論、観戦に行く訳だが、ただお客として列に並ぶだけでは、その興奮を抑えきれない。
ボクたちは当時の路上演奏仲間で集まり、ライヴハウス前で歓迎を示す路上演奏をしようということになった。
記憶ではウェルカムボードも用意した気がする・・・。
発電機や機材の準備を進めていると、関係者らしき何人かが近づいて来る。
やめさせられるのかと思いきや、
「もうすぐバスで、メンバーが会場入りするから、それに合わせて演奏してくれる?」
ってな展開になった。
思わぬことになって、その指示通りにバスが入ってくるのを確認して仲間達が演奏を始めた。
ボクは、演奏に加わらず、メンバーの名を叫び、ウェルカム!歓迎!の声を上げていた気がする。
気づいた一堂はバスの窓を開け、笑顔でこちらに手を振る。
あのブルースマン、このブルースマン。
その中にはヒューバート・サムリンもいたはずだ。
喜びでヒートアップしたボクたちの元へまた関係者が歩み寄り、
「リハーサルから入っていいよ?」
シカゴブルースのレジェンド達のゆるいリハーサル風景を呆然と食い入る様に観た覚えだけが残っている。
本番の演奏も実のところもう遠い記憶の奥にある。
それでも、ウィリー・スミスの投げた先の折れたスティックは今も宝物だし、この通りヒューバートやメンバーのサイン入りのジャケットも家宝のひとつだ。
そんなヒューバート、80歳。
このサインにあるメンバーも先だってウィリー・スミスが他界し、リトル・スモーキーも、カルヴィン・ジョーンズもすでにこの世にいない・・・。
しかし、これからもブルースをやる以上、彼らの残した偉大なる財産から学ぶことはたくさんある。
心より合掌。