スポーツ界が、こんなに揺れたことはこれまでの記憶にあっただろうか?
プロもアマも、果ては部活動のレベルまで巣食った病巣が次々に暴かれる。
相撲界では、痛ましいしごき死亡事件に始まり、一連の八百長問題。
プロ野球界もいわゆる飛ぶボールへの変更で再び機構の構造がクローズアップされる。
ついには国技でもあり、最も世界に誇れる清廉潔白だったはずの柔道界までも金メダリストによるセクハラ事件、女子柔道のパワハラ告発、挙げ句の果てには公金横領疑惑までもが飛び出す。
また記憶に新しい大阪の公立高校バスケットボール部で起こった体罰だ。
悲しい結末は、主将は死を選ぶしかなかった。
マスコミ、メディアはもとより、一般のネット上での書き込みなどでも様々な意見が飛び交って、肝心の当事者は置き去り、それぞれが抱える原因追及は、結局一緒くたにされた報道として垂れ流され、確証のない噂話や私刑ともとれる吊るし上げの論がおびただしく残される。
一方で、オリンピックや世界選手権、ワールドカップなどの国際大会になるとその同じ舌が一転する。
原因の一端だと吹聴したはずの勝利至上主義の先鋒を務めるのだ。
そこには、巨大なビジネスと想像を超えるお金があっちからこっちへと動くからだ。
都知事が、「東京オリンピック」が決定的みたいなしたり顔で帰国したら、こぞってマスコミがシャッターを切り、マイクを向ける。
そしてメダル有力候補!なんて見出しを付けられて写真が並べられる。
翌日の新聞には、こう載る。
「東京招致、優位!」
スポーツビジネスが、アスリート個人の収入につながることは、決して否定しない。
彼らトップ選手の想像を絶する努力は、経済的に相応いやもっと報われるべきだと思っている。
名誉か、安定した収入か、莫大な契約金か、それは彼らが選ぶ事で、我々の物差と比較の対象にしてはならない。
さてさて、ここまで書いた様な仰々しい理由は後付けです。
7月に入ったスポーツ新聞を見て、
夏の甲子園の地方大会予選がスタートしていることに目がいったのだ。
やっぱり我が街大阪代表決定の行方は、幾つになってもこの時期気になる。
長い夏休みがあった頃は、そりゃあ、開幕の行進からワクワクしながら観たものだ。
あの大甲子園球場に躍動する球児の灼けた黒い肌から吹き出る汗は、普遍的だろう。
大の高校野球ファンだった故・阿久悠氏が作詞した民放の大会歌『君よ八月に熱くなれ』では、疑いも無く『青春』の二文字が唄われる。
また公式大会歌『栄冠は君に輝く』(古関裕而氏作曲)の素晴らしさは不滅と言っていい。
今どき青春なんて使い古された大人が作った言葉だとも思う。
しかし、スポーツに限らない、与えられるものではないこの青春は謳歌すべきだ。
自分が失った青臭さを求めに、何年振りだろう地元の球場へ歩いた。
前と違うのは、息子の三輪車を押している事だ。
彼には、「アイスクリームか、かき氷食べさせてやるからな」と、数日前から呼び水をやってある。
1回戦3試合が組まれていた。
2試合目には往年の甲子園を沸かせ、優勝旗を持った名門校の名もあった。
700円(ちょっと高くないかい?)を払って、球場に入る。
おおよそ甲子園とは縁の無いだろう公立高校同士の戦い。それでも屋根も無い小さなスタンドは、後輩、OBだろう人、父兄達の応援合戦で賑やかだ。
一球ごとに、歓声が沸き、校名が入った団扇を叩く音に、ここにも小さな甲子園が再現されているような錯覚に陥る。
しかし、数分も経たないうちに、炎天下の硬いベンチに座った息子は飽きてしまった。
子守役のばあちゃんが、タイミング良く合流。彼を託して再入場(せっかく700円も寄付したんだ!)。
将来のダルビッシュやマー君、イチローは、ここには居ない。
17、8の少年達、それこそボクの息子の年齢と言っても全くおかしくない彼らが打席に声を上げて入る、チェンジではグラウンドに全力疾走、金属バットの快音と共に打球が外野手の間を抜けて転々とする、二塁ベースに滑り込む・・・。その一挙手一投足が、眩しい。
接戦だった。
8対6。その場で勝者と敗者に分けられた。
分からず屋なコメンテーターなら、したり顔で残酷だなんて言うのか?
グラウンドの彼らの心の内は分からない。
でも府予選1回戦から感じたこの清々しさは、何なのだろう。
そう、この清々しい勝利と敗北の一瞬が、スポーツの存在意義であり、そこには感動が生まれるのだ。
今、スポーツ界に起こっている病は、この根本的で単純で明快な感動が失われているのか、また結果と経緯が逆転しているのか?
あっ!ボクもうかつにも、したり顔で論評をするところだった・・・。
いかん、いかん。
数十分の観戦だったが、その清々しさをたっぷり持ち帰った。
次の試合で入場する球児達に、つい頑張ってな!なんて無駄口を叩く癖がやっぱり抜けないなぁ。
帰宅後の風呂場で腕と首筋がヒリヒリ、うっすら灼けていることに気が付いた。
出来うる限り、夏の体験をしようではないか!
(追記)
球場へ向かう前のこと。
自宅を出る際に先日の『愛染さん』の縁日で持って帰って来た6匹の金魚の内、一番気に入っていた黒い出目金と一番小さかったが元気いっぱいだった金魚が水槽に浮かんで動かなくなっていた・・・。
「寝たふりしてる〜」と息子。
「いや、あんな死んじゃったわ」
ティッシュに2人で包んでやり、球場のある公園の分かりやすい樹の根っこを見つけて、スコップで穴を掘らせ、埋めてやる。
墓標の代わりに小さな枝を差し、近くに咲いていた黄色いタンポポとシロツメクサの花を摘んで置いて手を合わせた。
ボクも昔、同じ辺りで、弟と2人でそうしたように・・・。
彼にとって初めて「生と死」を身近に感じる事が出来た夏になるかもしれないな。