こんな時刻にパソコンいじっているのには、ちょいと訳あり。
ぐっすり、3時間程寝たあとなのであります。
家人が、北関東に日帰り出張の為、オヤジが息子の寝かしつけ係でした。枕を並べた彼の気持ち良さそうな寝息にこちらに睡魔も伝染するのもやむなし・・・。
9月の日記更新もずいぶんサボっておりました。ほとんどがブルースイベントの告知や後日談(長過ぎた)ばかりで、一部読者方には飽きられまいかと余計な詮索をしております。いやホントはブルースの話がメインなので正常なんですけど。
日記にも書きましたが、パソコンが雷の影響で一時期不調になって、書けなかった事がひとつありまして・・・。
そうです。
我が阪神タイガースの金本知憲の引退表明についてです。
連続フルイニング出場世界記録が途切れ、大きなケガが続いたこの2、3年。いつかその最終決断を本人が表明する日が来るのだろうとある程度予想は出来ました。
特に今年のチームは、和田新監督に移行したものの、試合結果はもとよりフロントを含めて、あの過去の暗黒時代を思い起こさせるギクシャクした雰囲気を夏前から感じ取ってはいました。
プロ野球の存在を知ったときからボクは阪神ファンです。
片時もぶれません。
しかし今年は、どういう訳かめっきりゲームを最後まで何がなんでも観戦する気になれませんでした。
阪神らしいゲームがありません。
期待したベンチにも活気がありません。
グラウンドの選手にも勝利への躍動が見当たらない。
暗黒時代と同じ空気が甲子園に蔓延している。
それでも球場は熱心なファンでいっぱいです。
ロケット風船も勢いよく飛ぶ。
この十年。余りにもタイガースを取り巻く状況が良過ぎたのかもしれない。
客は入る、成績もほどほど。優勝候補にも挙げられる評価。
しかし真弓監督以来からジワジワと感じたただならぬ湿っぽいベンチに座る金本の歯痒さが今年はいっそう伝わってきて切ない。
夏以降のスポーツ紙の話題は、オリンピックやなでしこ、高校球児に奪われた。
デイリーさんも話題作りにさぞや苦労したでしょう。
金本の十年を振り返りましょう。
豪腕星野を外部招聘した阪神の英断は、実をつけた。
賛否はあったが、それまでのフロントを含めたチーム編成を軒並み排除し、野村が種を蒔いた後、星野式の野球で開花させた。
その2003年。
金本を広島からフリーエージェントで獲得したときのファンの心境はどうだっただろう?
前年、星野初年度は最下位は脱したものの、Bクラスは変わらず。
日本ハムからFAで期待された片岡もやはり思った通りはずれた。
まず虎党には、FAで獲得した選手に良い印象は無い。
巨人の大型補強の残り物みたいな選手ばかりで、挙げればきりがないほどに、ことごとく成功例が無かったからだ。
更に古いファンの間には、生え抜き優先思想が抜けきれない。
当時の金本移籍の際も虎党が諸手を上げて迎え入れたと記憶しない。
確か大本命は、バファローズの中村ノリ獲得だった気がする。
勿論、江藤の後釜で広島の主砲であった金本には期待した。
3割、30本、30盗塁、トリプルスリーをやってのけた男だ。
その頃は、後の『平成の鉄人』の代名詞フルイニング出場など話題にもならない。
ところが、蓋を開けてみればどうだ!
2003年の春先からの怒濤の連勝、連勝、負ける事が珍しいくらいに勝ち続けた。
野村時代に干されていた今岡が爆発するわ、赤星は走るわ、オリックスを戦力外になったアリアスはここぞでホームランかっ飛ばすわ、良かった試しが無い外国人投手は活躍するわ、毎試合お祭り騒ぎですわ!
85年も凄まじかったけど、2003年の熱狂も尋常じゃなかった。
ボクはもっぱらのテレビ観戦の解説者気取りタイプですが、居ても立ってもいられず球場まで何年ぶりかで駆けつけた。
しかも観戦した試合が、広島戦。
確か7点ビハインドを終盤の連打連打で、跳ね返したゲーム。
気づいたら、アルプスの一番高いところまで駆け上って、今岡のユニフォームを着た見ず知らずの兄ちゃんと抱き合って応援した。帰宅したら声が枯れてました。
優勝は、らしく難産で、星野の体調不良、辞任をまねくことにはなったものの、ダイエー(当時)日本シリーズも白熱しましたがな・・・。
そこで金本は、打つわ、打つわ!
シーズン中は、バンバンノーサインで走る赤星の後の3番だった為、数字的には物足らないものだったが、すでに醸し出していた存在感とフォアザチーム精神で十二分な働きだった。
この新垣から打ったサヨナラの一発には、体がホントに痺れましたよ!
(ちなみにキャッチャー、城島・・・)
豪雨の御堂筋を数十万人が埋め尽くしたびしょ濡れのパレードの渦に当然ボクも早朝から陣取りました。
最高だったなぁ〜
書けと言われれば、朝まで書けますが、これほど虎党のハートを鷲掴みにした選手も長い阪神の歴史でも数人ではないだろうか?
残した記録は言わずもがなですが、それよりもっと大きな影響力を甲子園で発揮してくれた。
骨折片手ヒットなんて、先輩衣笠も骨折して打席に立ったが、これは連続試合出場継続の為だけであって、金本の場合は、打っちゃうんだから・・・尚かつ守備にも就かないとフルイニングが途切れる。
大したもんですよ。
カル・リプケンJr.の記録を遥かに凌ぐ1,492試合連続フルイニング出場、他にも球史に残る記録を打ち立てたのは、むしろ体力が落ちるはずの三十代を過ぎてからです。
印象深いのは、甲子園での試合前の練習風景をベンチ上で眺めていたら、金本の背番号6を探すのに少し時間が掛かった事です。
打席では大きく見える彼も阪神の他の選手に紛れると思った以上に小さいんです。今岡なんてすぐに見つけられました。赤星は小さ過ぎてこちらも一目瞭然。
2005年の岡田体制では、もう阪神の顔としての風格が備わり、数字も比例しました。
不運な怪我が毎年続き、オフは手術。それでもシーズンが始まると不屈に打席に立つ。
『アニキ』とは、ウマいこと名付けたものだ。
そのストイックさとは裏腹な豪快な性格も魅力だった。
難癖つける人もいたが、金本知憲という野球人に見せてもらった数えきれない感動にありがとう。
彼がバットを置くのは、10月9日の甲子園に決まったそうだ。
「派手にしないで、普通のセレモニーにしてください」
そう伝えてるらしい。
盟友清原のド派手な引退セレモニー(ボクは仕事上がり、大阪ドームに駆けつけて音だけ聞いた)では涙で花束贈呈した金本。
あの時以来の金本引退表明の落涙。
先日の代打ホームランを見て、
「まだ、やれる!」
と悔やむ声もある。
しかし、「アニキ」の引き際をしっかり目に焼き付けよう。
また縦じまに袖を通すか、いやカープの赤いユニフォームを着るのも良い。
グラウンドの違った姿の金本を今後の楽しみにしよう。
10月9日、また長々と日記を書くだろう。
引退発表の翌朝、家人が気を利かしてコンビニで買ってくれた限定金本の焼きそばパン。
尚、あれから洗っては着、今夜も金本のTシャツが寝間着なんです。