今日の昼間、息子を一晩預けていた実家に昼前に就く。
近くの公園にばぁちゃんと遊びに出たままらしく、追いかける。
五月晴れに公園は、子供達でいっぱいで、目印の阪神帽を探したが見当たらない。
そんな背中から、聞き覚えのある、というか毎日聞いている声。
日頃の喋り過ぎからくるのか、元々なのかは判別出来ないあのハスキーボイスだ。
「おかぁちゃ〜ん〜」
何度も叫びながら、走って来た。
向こうが先に見つけたのだ。
当然ながら「お父ちゃん〜」の呼び声は最後まで無かった。
走り寄る家人とその胸に半日振りに飛び込む息子のシーンを背中越しに見つつ、我が事ながらになかなかに良く出来た家族の構図だった。
『母の日』に相応しい。
一晩彼を実家に預ける事になった訳は後に述べるが、金曜日の仕事上がりから、土曜の夜にかけて、久し振りの夜更かしをさせてもらった。
まずは、金曜日の夜。
ChicagoRock Friday Night Blues Jam
月に一度、ホスト役を今回も務める。
通例なら、毎月第3金曜日のところ、今月はライヴのブッキングの影響で押し出された恰好である。
告知もままならないままに当日の晩、お店のある南森町に到着。
岡部キングが地元が同じバーテンのI君に同乗して先に居た。
急な肌寒い夜で、あらかじめ持参した着替えにはジャンパーを忍ばせておいて正解だった。
個人的に、夜更かしを許される日程なのだ。
いつもの日程なら違うが、翌日仕事はお休みだからである。
さて肝心なのは、参加者の有無である。
強制力は無い。
来られる方のご都合次第である。
仕事、家庭、体調、様々な要素を犠牲にして、ほとんどの方が参加してくれるのである。
この夜は、参加者より先んじて、通りがかりの飲み客がカウンターに数名陣取った。当然これから騒々しいセッションが繰り広げられるとはご存じない。
バーテンのI君がそのあたりをどこまで説明したのだろう・・・?
定刻の20;00前になっても頭数が揃わないという事態に、少々焦る。
「まぁ、ええかぁ」と楽観出来ない性格なので、メンバー表とボールペンを手にソワソワ。
待ち人来る。
少し遅れたものの、5月のジャムセッションがスタート。
初顔な若い人も来た。参加してくれたベテラン勢の息子くらいの年齢である。
一方で、ボクの仕切りは、回を重ねるごとにいささかアバウトになっているなぁ・・・。
一部を例によって画像で振り返ってみよう。
上は、若い組み合わせ。ボクとでさえふた周りほど違う。
ジミー・リードとマジック・サムをやってくれた。ウンウン!
2年やっていると、すっかり常連さん頼みなのが事実である。
仕事帰りそのままで駆けつけてくれる皆さんがほとんどだ。良い意味でストレスの発散に繋がったでしょうか?
一期一会。
再び同じ写真は残らない。
またお会いしましょう!
残った時間、終電で帰る予定の人生の先輩を足止めさせて、訓示を受ける。
いかにして家庭の平穏を保ちながら、好きな事をやらせてもらえるか?
男側の勝手な言い分であるから、奥方や息子、娘には聞かせられない台詞も飛び出す。時間があればゆっくり膝詰めで白熱するところだが、また次回に(笑)持ち越しておきます。
終電を全く気に掛けない数名が残る。
まぁ毎度の面子だ。
ボク以外は酒も相当入っている。
真面目なブルースの話からは、当然脱線中。
一端熱を帯びると口を止める事は難しい。
一通り店が片付いた後、「タカギさん〜今日ぐらいいいでしょ?」
という口説き文句を断れず、いやボクも喋りたいのは山々だった。
場所を少し移して、夜中にも関わらず、朝までやっている安い定食屋でボクは大盛りの唐揚げ定食を食う。
飲み足らない若干名はアテとビール。
店を出たら、時刻は午前3時を指していた。
なんばや梅田での路上演奏の時は、平日でもこれだったなぁと回想しつつ、「いや、もっと別の華がちゃんとあっての話やわ」と訂正した。
一人帰路。
新聞配達の準備をする自転車を車窓から見ながら、後ろめたく自宅の鍵を音がしない様にそっと開け、気づかれない様に布団に潜り込む。
翌、土曜日。
2時間ほどの熟睡で、目覚める。
割当の家庭の仕事を最低限やる。
夜には、約束事がある。
その楽しみで、あるはずの昼間の眠気は、襲って来ない。
夕方保育園に息子を迎えに行き、実家に預ける事になっていた。
前夜とは違い、家人も伴って一路豊中へ車を走らせる。
車中では、ハービー・ハンコック。
前夜の夜更かしにも当然居た三木君と阪急曽根駅で待ち合わせていた。
彼を後部座席に乗せほどなくで、目的の看板を通り過ぎた。
Live Cafe ARETHA
そのハービー・ハンコックの『ヘッドハンターズ』のベーシスト、
Paul Jacksonを拝みに来たのだ。
同じベーシストの三木君にとっては、『神様』の一人である。
ヘッドハンターズの曲は、ブルースセッションでも取り上げられることもしばしばだ。
開始時刻、オープニングアクトである女性ばかりのジャズファンクバンド(実は、偶然にボクにも三木君にも縁があった)登場前で店内は、満員札止め。入り口までギュウギュウに人で溢れていた。
我ら3人も入り口付近でなんとか席を確保。
コブラの装飾が厳つい巨体が、ベースを抱えたまま、キーボード(前の女性キーボード奏者の私物と思われる)に座り、ベースではなく、キーボードから始める。明らかに即興である。
まぁ、詳しい論評をする立場にボクは無い。
ただただ、本物。その姿を発するオーラから感じただけでも来た甲斐があった。
実は、この会場のARETHAで、7月の14日にボクらもお世話になる事が決まっている。
アイパー大西&The Seeds Of Reed、ヨシ水野11th Street Blues Band、そしてAyako MInamiでのライヴ。
曽根駅からなら徒歩5分〜10分。
幹線通り沿いの角のビルの2階。
天井が吹き抜けの様に高いので、開放感があります。
是非、チェックしてみて下さい!
http://www5.plala.or.jp/aretha/
「神」と接し、若干興奮気味の三木君と空腹を満たす為、ファミレスで長い会話。
市内に戻って来たら日付の変わる頃になっていた。
息子の居ない自宅に戻ったのは、もう午前様だったが、メールがひとつ入っている。
某二人から「今、タカギ君のすぐ近くの○×って、ラーメン屋におんねんけど」
階下から、「ちょっと行ってくる〜」と言い残し、靴も脱がずに合流する。
想像以上に他愛も無い話を30分ほどし、笑い合って別れた。
おかげで、息子を迎えに行ったあと、彼よりも早く昼寝をしてしまった。
たいそうイビキをかいていたらしい。
夜更かしは理由無く誠に愉しいが、ほどほどに。
体に負担のかかる年であることを忘れずに。
明け方、左足のふくらはぎが、強烈にこむら返りしたのもきっとそれが原因だろう。
まだ痛むのだ・・・。