1,000件目の日記。
何を書いてきたかなんて、本人ですら覚えていないのだから、読者の方の記憶にどれだけ残っているのだろう。
友達同士での下世話なお喋りならば、その場で忘れて消去してしまってもいっこうに問題はないが、こうして文字にして尚かつ誰にでも閲覧出来る環境に自ら晒しているので、うかつに軽口など叩けない。
正直なその時感じた心の動きをしたためたい気持ちと、他者から誤解を生まない様に言葉を選ぶ慎重さの狭間で揺れ動く事もしばしばある。
特に世相世情、思想や風俗に対する率直な意見は極力自制して書いているつもりである。
怒りや憤りを感じない日が無い方が珍しいくらいだが、あえてその類いには口を慎んでいる。
あくまでも当方ブログにおける趣旨は、ボクの周辺で起きるブルース事情の報告の場である。
1,000本目を節目に、この本分を再確認したい。
とはいえ、ブルースの現場のこぼれ話からは、何ら関係の無い私的な内容も振り返れば多々有ることは弁解しない。
いつだったか、ある面識の無い読者の方が、ボクたちのライヴ演奏を初めて観た感想をこう表現してくれたことを思い出した。
『市井(しせい)のブルース』
「市井」を辞典であらためて調べてみた。
人の集まり住む所。
まち。
ちまた。
『市井の人』=「庶民」
(語源)昔、中国で、井戸のある所に人が集まって市が成立したところから。
なかなか言い得て妙である。
ボク達にとっては最高の褒め言葉かも知れない。
さしずめ井戸が「ブルース」なのか・・・。
つい先日、これもボクが恥をしのんで公開しているYouTubeチャンネルを通じて、パーソナルメッセージがメールボックスに届いていた。
その内容は、10数年前のなんばや梅田の路上演奏についての事である。
送信者の方もミュージシャンらしく、たびたび当時ボクたちが路上で無差別に大音量でまき散らしていた場面に出くわしていたそうだ。
そして偶然にもYouTubeの動画に引っかかったという。
あの頃は、日替わりで3つのグループに分かれて、演奏にばかり集中し、MCは勿論のこと自己紹介などもほとんどなく、カンパ箱と一緒に置いてあったライヴフライヤーですら「持っていく人はどうぞご自由に」という無愛想さだった。
送信者の方の記憶も多少混同していてメッセージにある登場人物の取り違えておられる。
そんなことより10数年前、通りがかりの遭遇を今も記憶に留めてくれていた事は、感激もひとしお。
一方でボクの記憶の中でも、路上で出逢った多くの人達は今もはっきりと残っている。
「あの人はどうしているかな?」「あの子はもう家庭を持ったんだろうなぁ」なんて思い出した様に回想することもある。
2011年秋現在、
残念ながら、そうした生の出逢いの機会は消滅してしまった。
あの行為が「市井のブルース」だとするならば、まさしくそんな毎日だったのかもしれない。
10数年の経過は、ボクたちの生活環境も一変させた。
あの頃の仲間の内の幾人かは、色々な事情で演奏からも遠ざかってしまった者もいる。
かと思えば新しい出逢いもあり、「井戸」は幸いにも失わずにいる。
1,000回目の更新を前に、何を想うか・・・。
大それておこがましいが、あえてここは口ごもらず文字に残しておきたい。
このブログが、その『井戸』のひとつとして、どこかの誰かが集って欲しい。
開設当初には、コメント数やアクセス数に一喜一憂していた時期もあったが、今はそこに評価を求めることも少なくなった。
但し、なにがしかを書き続けることだけは、面倒くさがらずに、これまで通り努めて等身大で、
『市井のブルース』をご報告していきます。
(時々は、個人的日記に転じることはご容赦を)
過去に書いた10数年前の路上演奏を振り返った記事。
当時を知る人、また知らない人、よろしかったら下記クリックを。
『ロジョウ』の記録シリーズ