今夜も音楽・Bluesに関するお話ではありますが、あえて記事のカテゴリーを『友達の輪!」に区分することにした。
ボクにとっては、片足突っ込んでいる音楽活動の位置づけは微妙である。
微妙というと消極的に聞こえるかも知れないが、
それは「趣味」としても捉えられないし、勿論これを食い扶持に生活の糧にしている訳ではない(どちらかといえば、家計的には出費とも言える)、かといって簡単にこれこそが生き甲斐だと言い切れる程の切迫感は薄い。
こんな生活が20年以上続いているが、的を得た確かな結論が見当たらない。
以前に日記でも同じ様な事を書いたかも知れないが、例えるならば朝ゴハンとボクは人に答える。
その例えにたいていは相手はピンと納得してくれないが、ボクにとってブルースと触れない生活は、朝ゴハンを抜いて仕事に就く様な感覚だ。
労働の源と言うとたいそうな話になるが、活動から派生する人との出逢いやら演奏以外の出来事も含めて心の拠り所であり、栄養源なのである。
月曜日の晩に神戸の
James Blues Landのマスターから電話が入った。
「明日、Blues-the-Butcherのライヴがあるから来まへんか?」というお誘いだった。
James〜とは、ご縁があって、今秋9月18日にブルースイベントを企画開催した。
その模様は、東京在住でブルースマンを被写体にしているカメラマンの小島在清氏の撮影・取材・文章によりブルース&ソウル・レコード誌の紙上で、取り上げて頂いたりもした。
年末の仕事がほぼひと段落ついたので、終業後阪神高速に飛び乗り、神戸を目指す。
お店は、波止場無番地というなんともブルースな立地にあり、ブルースが似合う開放的でアットホームな空間である。
メインアクトであるBlues-the-Butcherのハーピストは、
KOTEZ氏。
(こてっちゃんと言った方が個人的にはしっくりきますが)
彼との出逢いは、20年近く前まで遡る。
ほぼ同じ世代の彼は、東京で『シカゴビート』というシカゴブルースバンドで活動していた。
ある共通があって、大阪の仲間達の間でも噂だった。
ボクは一度だけ、東京遠征時に同じイベントでそれぞれのバンドでの共演はあるが、実際に演奏で同じステージに立つ事はこれまで結局一度も無いままである。
ちなみにシカゴビートのギタリストは、今週末シカゴロックで一緒にやるタカ・サイトウである。
KOTEZ氏は、ブルースファンならきっとご存知のことだろう。
プロとして、ライヴ活動、その他多岐にわたり、今や日本を代表するブルースハーピストだ。
元ウェスト・ロード・ブルース・バンドの永井ホトケ隆氏を中心に提唱する「ブルースで踊れ!」というコンセプトで始まった1時間強のライヴは、終始その通りぎっしり満員のお客さんは座り心地の良いソファーから立ってのダンスパーティーの様相だった。
KOTEZ氏が実に巧みに身振り手振りで観客を乗せる。
勿論ボクもネクタイ姿を忘れて自然に身体を揺らせ、笑った。
またこの夜のオープニングアクトには、以前ジャムセッションなどでも何度かご一緒し、ボクの企画イベントにも足を運んでくれたことのあるHatch君が在籍。
彼とも5、6年は会っていなかったので、再会を喜び合った。
Hatch君が主催するジャムに参加しているという、メンバーとも店内で握手をした。彼らは、前述した秋のイベントに揃って来てくれた縁がある。
誰かと出逢えば、月日が流れても次に逢うときはもうそれは再会となる。
こういった縁が繋がるから、ボクにとって音楽やそれにともなう諸々は、まさしく栄養源という訳だ。
前記事では、ストレスの事を書いたが、火曜日の愉快な夜は、そんな嫌な事を忘れさせてくれた。
11連チャンでツアー中のKOTEZ氏曰く、
「スポーツみたいなんだよ」
ホント感服しました。
終演後、少しの時間、汗だくのKOTEZ氏やHatch君他の面々と近況と今後をマシンガンの様に喋った。
それぞれにスタンスは異なるが、みんな音楽をこよなく愛している人達ばかりで刺激をもらう。
電話以外でKOTEZ氏と面と向かって話すのは、10年振りくらいかな?
心強い言葉に応じて、がっちりと約束の握手を交わした。
いつかどこかでまた必ずや再会を・・・。
週末は偶然にも、KOTEZ氏と並びシカゴビートの看板ギタリストでもある、
タカ・サイトウとのライヴがシカゴロックで。
是非、お越しを!